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旭川に住んでいた小学生の頃、3歳年下の従弟とよく映画を見に行った。
たいていは3条18丁目の富士館という二流館で、
中村錦之介とか大川橋蔵が主演の時代劇を見るのだが、
たまたまその日は3条6丁目の街中にあるスカラ座か旭川劇場だったか忘れたが、
封切り館で見たい映画があり行くことになった。
叔母さんから映画代と往復のバス賃、
それと帰りにお蕎麦を食べておいでと、もり蕎麦二枚分のお小遣いをもらった。
映画を見終わり、初めて二人きりで行く蕎麦屋。
丸井さん前のバス停のすぐそば、何時も家族で行く蕎麦屋なのに緊張していた。
何を勘違いしたのか、もり二つと言わなければならないのに、
ざる二つ下さいと言ってしまった。
もりとざるとの値段が違うことなど知る訳もなく、
はしゃぎながら海苔のかかったざる蕎麦を平らげて、
お代を払おうとしたら持たされた金額より高い。
子供ながらに懸命に頭を働かせたのだろう、
残りのバス賃を足して蕎麦代を払って店を出るともう夕方。
持っている金で行ける所までという考えはさすがに思いつかず、
二人でてくてく歩き始めた。
8条21丁目の家までは5、6キロもあったろうか。
子供の足では2時間はかかったと思う。
たぶん怒られるだろうと覚悟したが、事の顛末を話すと大笑いされチョンとなった。
そんな記憶のせいではないのだが、大人になってからは海苔のかかっていない『もり』を好む。
理由は蕎麦を啜る時に海苔が邪魔だから。
世間でよく言われているように、
海苔の香りがすると蕎麦の香りが分からなくなるからというわけではない。
店の品書きの一つ、『花巻蕎麦』はたっぷりの揉み海苔が乗った温蕎麦。
汁にはこれでもかというほど磯の香が溶け出ているが、
蕎麦と香りで喧嘩することはない。
ところで『ざる』と『もり』の本当の違いをご存じだろうか。
海苔が乗る乗らないではなく、汁の作り方が違うのである。
『ざる』の汁には『御膳がえし』という味醂を多く使った『かえし』を使うのが本来のやり方。
お客さんに出すとき間違えないよう、目印に海苔を乗せたというのが始まりらしい。
当店の『せいろ』には海苔はかかっていない。
蕎麦は勢いよく啜って食べるものだから。
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大学へ通うために東京という都会に出て驚いたことは山ほどあった。
たとえば服装の配色。
物心ついてからの地方のおしゃれは目立ってなんぼの世界。
ところがこちらのお嬢様達は、真っ白いポロシャツにベージュのカーディガンを羽織り、
下は明るいグレーのスカートなんぞを合わせている。
そんな色彩感覚に溜息が出るほどセンスの差を感じてしまった。
他人との間合いというか距離の取り方にも大きな違いがある。
たとえば駅前の蕎麦屋。
四人掛けのテーブルが並んでいて混んできたら相席は当たり前。
『いやーどうもすんません、ご一緒させてもらいます』なんてことも言わない。
注文の品が届く間、新聞や文庫本を見たり、
壁にぶら下がった品書の木札を端から端まで読んだりしても、
向き合った他人に声を掛けることはまず無い。
ここ北海道の蕎麦屋では余程のことがない限り相席は無理。
人口密度が低いせいかもしれないが、
見ず知らずの方と同じテーブルで食事をするぐらいなら、
帰ってしまうというお客様が圧倒的に多い。
席数の小さな飲食店が苦戦する原因でもある。
ならば相席や空席待ちを厭わないほどの魅力的な蕎麦を、
ということで2月から新しい品書きの登場です。
以前ご常連の『だて様』に温かい納豆蕎麦は出来ないのかと言われた。
かけ蕎麦の中に納豆がどんより沈んでいる様子しか想像できなかったので曖昧な返事で終わらせていたが、茹でた蕎麦を冷水で締めて湯通しする『あつもり』というやり方があった。
熱々の蕎麦にひき割り納豆、温泉卵、揚げ玉、さらし葱を盛る。
薬味はおろし生姜と大葉の千切り。
濃い目にしつらえたかけ汁を六分目ぐらいに張ってお出しする。
お楽しみは途中からの蕎麦湯。
少し残した器の中に注ぎ入れると納豆カルボナーラに変身する。
これが美味いのなんの。是非是非お試しあれ。
もうひとつは大分県の名物『鶏天』を乗せた温かい『鶏天そば』。
生姜醤油で下味を付けた鶏胸肉のてんぷらは柔らかくジュゥシー。
食べごたえもあるので、『昼に蕎麦じゃ夕方まで持たねぇ~』という皆さんにもお勧めです。



13日の祝日、奥さんに誘われて網走に行った。
目的は呼人にあるTリゾートホテルのランチバイキング。
11時には行列ができるほどの人気だそうで間に合うように車を走らせる。
会場のレストラン前のロビーには数十人の先客。
温泉の入浴料も含めて一人約2000円。
Tリゾートといえば道内屈指のホテルを各地に有する。
値段も値段なだけにあまり期待はしていなかったが、
どれを食べても普通かそれ以下のがっかりする内容。
今が旬の牡蠣でも並んでいるかと思ったが、当たり前かもしれないがそんなものは無し。
目立ったのは鶏肉やサンマ、鱈、鮭を使った料理。
値の張る牛肉や豚肉を使ったものはない。
もともと二人ともバクバク大量に食べる方ではない。
おまけに味が混ざるのが嫌なので、皿に二種類ほどを取ってちまちまと食べる。
隣のテーブルはそれぞれ70キロ以上はあるなと思われる母と娘。
口の端から塩焼きソバの麺を垂らしながら手は次の皿をもう持っている。
バイキングは元を取らねば損という考えも分からないわけではないが、
前の日から何も食べていないような食事の仕方はみっともないしょ。
ほどほどの量をよく味わいながら食べる、
そんなお客さんが多くなると、提供する側ももっと良いものを出せる筈。
案内されたテーブルには、あらかじめ鶏の塩鍋というのがセットされていた。
塩味のスープで鶏腿と野菜を煮て食べる鍋。
これが何とも酷い鶏肉。
臭みがスープにも溶け出し野菜も食べれたもんじゃない。
毎月ため息をつきながら支払いをしている貧乏蕎麦屋でも、
こんな鶏肉は使いませんぜ、『鶴雅』さん。
なんだかなーと思いながら大好きな温泉に浸かっても心は満たされない。
思い立って『そば切り温』さんに寄ってみようということになった。
もしかして休みかなとドキドキしながら林の中の小道を抜けると、
駐車場にはお客さんの車が停まっていて営業中。
靴を脱ぎ昭和の香りが色濃い店内に入ると薪ストーブが赤々と燃え暖かい。
すぐに店主中村さんご夫妻が気づき出迎えてくれる。
お腹はほぼ一杯なのに注文したもり蕎麦は、
美味くて美味くてするりと入ってしまう。
丁度仕事の切れ間であったのか、30分ほどいろんなお話をすることができた。
物足りなかった心の隙間を、お二人の飄々としたお人柄が満たしてくれる。
帰り際には仕事の手を止め、わざわざ外に出て見送ってくれた。
皆さんも是非一度行かれるとよい。
食事とはただ胃袋をいっぱいにするものではなく、心も満足させるものでなければならない。
そんなことを気付かせてくれる蕎麦屋さんです。
場所はちょいと分かりにくい。
一番迷わずに行けるルートは、北見に向かって呼人の町外れ、
金印のワサビ工場の付近に天都山への大きな標識があるところで左折。
山道を1キロほど登ると『感動の小径』という道標を右折。
1キロも走らないうちに左道路脇に『そば切り温』の看板を発見できる。
古いものがすべて良しとは言わないが、時代とともに失ってきた大事な何かを、
旨い蕎麦を手繰りながら考えられる時間と空間は滅多に無い。
江戸前蕎麦の基本は細打ち。
ご定法は切りべら23本といって、1寸の幅の麺帯を1,3ミリに切り揃えると丁度23本になる。
なぜ太さにこだわるかというと、茹で上がりの状態を同じくするため。
つなぎの小麦粉の量が二八という二割か、つなぎ無しの十割の間では特に重要である。
蕎麦粉は火の通り方が早い。
十割蕎麦はものの30秒ぐらいで茹で上がってしまう。
二割のつなぎの蕎麦でも一分はかからぬ。
太さの違う蕎麦をいっしょに茹でるということは、生煮えのところと茹で過ぎのところが混在することとなる。
粉っぽかったり、ふにゃふにゃの蕎麦ではお代は頂けぬ。
救荒食物といって、米の不作に備え蕎麦が栽培された時代があった。
農家の嫁の嫁入り道具の一つに蕎麦打ちの技も含まれていたそう。
台所の板の間にちょこんと座ったばぁ~ちゃんが、菜切り包丁で切る不揃いの蕎麦はそれはそれで旨かったりする。
時代は変わり、そんな乱切り蕎麦がもてはやされる世の中になったようである。
もともとは日高の食堂であった『S』という蕎麦屋。
乱切りの田舎蕎麦で評判を呼び、札幌に進出し支店を構えるほどになった。
たまたま観た夕方のテレビ番組で取材を受けていた。
蕎麦粉は黒松内産の奈川在来という貴重な品種を使っているらしい。
モグモグと噛まなきゃいけない感触が受けているんでしょうかね。
江戸前蕎麦の老舗には爪楊枝を置かない店がある。
蕎麦てぇ~もんは喉越しを味わうもんで噛むもんじゃねぇ、というのがその理由。
だが、喉に手繰り込んでも全く噛まずにいると詰まってしまう。
目を白黒させながら蕎麦を食らう江戸の町民たちの姿が目に浮かぶ。
『粋』とは『痩せ我慢』の昇華形。
『痩せ我慢』てそれ何?という年代が増えているご時世、
やがて『粋』という言葉も死語になっていくんでしょうな。
乱切りの蕎麦や、それを好む人達を卑下するわけではない。
鮨屋のシャリがめっこ飯であってはならぬように、
蕎麦もまた美味しく食べていただくために、麺線を揃えることは最低条件の一つである。
江戸打ちの技法は様式美を伴う。
『粋』に食べてもらうには『粋』に打たなくてはならないのだ。


アベノミクスなんぞ、まったく関係ない日本の端っこのこの街は、
暖房のために灯油を買わなければならない時期が来ると、毎年客足が落ち込む。
11月はここ3年間で最低レベルの入り。
一桁の日が二日も続くとさすがに元気も無くなってくる。
商売やっていればこんな日もあるさと、パートさん達に明るく言って、
忙しい時には出来ないそこいら辺の大掃除をやるのだが、
それもその内やり尽くす。
すまないなと思いながら、定時前の早上がりで帰ってもらうこともしばしばだった。
灯油、ガソリンは高値安定。
おまけに来年の消費税増税を控え、節約の槍玉のトップは外食であることは仕方のないこと。
安さでお客を呼び込む土俵にはハナから立つ気は無い。
真っ当な食材を使い、化学調味料や添加物とは無縁の食べ物をご提供出来る最低限の値段でやってきた。
そうかと言って何も策を弄せずに手をこまねいている訳にもいかない。
12月になって少しお客さまも戻ってきた。
ここが勝負の時と、江戸時代からの伝統の蕎麦で挑戦することにした。
それは『花巻蕎麦』。
温蕎麦の上に最高級の海苔を揉んで散らす。
すぐさま蓋をしてお客様のもとへ。
蓋を開けると海苔の何とも言えない良い香りが立ち込める。
この香りを消さぬよう、薬味は葱も七味も使わない。
ワサビを少々汁に溶き召し上がって頂く。
冷たい蕎麦の海苔かけは、香りがそれぞれ主張し過ぎるという理由で品書きから外してた。
ところが温められた蕎麦と、その上に乗った海苔の香りは喧嘩をしないのです。
浅草海苔が今の東京湾で豊富に採れた江戸の時代。
どの様な組み合わせが美味い蕎麦につながるのかを、
昔の人たちは知っていたのでしょうな。
昨日の日曜日、丁度30名様のご来店。
『本日のおすすめ』のブラックボードに記載しただけで、『花巻蕎麦』7食のご注文をいただいた。
なお花巻という呼称は岩手の花巻とは関係がありません。
海苔のことを磯の華と言っていたことに由来するそう。
磯の華をまき散らす様子から花巻蕎麦と呼ばれるようになったらしい。
これを機会に昔からの味を再現してみたいなんて思っている。
田毎の月を表した月見蕎麦も良い。
四半分に切った海苔を敷き、その上に卵を割り入れる。
熱々の汁を掛けすぐさま蓋をする。
海苔は田んぼ、白身は黄身の月にかかるおぼろ雲。
何とも粋な蕎麦である。
鼻水のようなそこらの月見蕎麦とはまったく違うのである。
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