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この地方の積雪はいつも風を伴う。
新しい年になってからの雪は毎日のように降っているが吹雪ではない。
しんしんと重たい雪が絶え間なく舞い降り、
外に出てみると結構な量になっている。
そのまま放っておくと固く締まって大変なことになるので、
連日の除雪作業で正月休みは終わることになりそうである。
冬場のかけがえのない相棒、ホンダの9馬力除雪機も10年目。
壊れても新しく買い替える余裕はないので、
なんとか頑張ってくれと、何時もより入念な手入れをしながら話しかけている。
自然界の草や木は勿論のこと、人間が作り出したすべてのものにまで心があるように思う。
ガキの頃、川辺で遊んでいておしっこがしたくなったら、
『川の神様、ちょいとごめん』と言いながら川面に向かって小便をした。
あれは北海道の先住民族であるアイヌの考え方の影響かもしれない。
すべてのものに神が宿り、心があるという彼らの教え。
消費することが美徳だと思われたバブルの時代、
それが弾け飛んでしまい失われた10年が今に続く。
デフレ脱却には個人消費の上昇が必要だそうで、
消費税を上げながら、返す刀でモノを買いなさいと政府は言う。
東京周辺はいざ知らず、地方の人達にモノを消費する力は今は無い。
現在使っているものを出来るだけ大事に使おう、
もし壊れたら可能な限り自分で修理しようと皆考えている筈。
前に観たテレビの風景、昔ながらの下請け工場が連なる墨田区。
大手メーカーからの発注が途絶えたため随分と動かせていない金型機械。
給料を払えず従業員を解雇してしまって一人きりになった経営者は、
いつかまた動かせる日のために、機械に話しかけ手入れをする。
『イランカラプテ』
あなたの心に触れさせてください、という意味のアイヌの挨拶の言葉。
観光産業の振興を図る道庁は、この文言を『おもてなし』の意と捉え、
キャッチフレーズに使いキャンペーンをやろうとしている。
過去のアイヌ民族に対する迫害や差別の歴史を振り返りもしない役人の仕事。
そしてこの言葉は、人に対してだけに向けられるものではないと思う。
一本の草、一滴の水、一面の大海原、
すべての存在に対する尊敬と畏怖の心から生まれたもの。
人間が守るべき環境の保護にこそ使われることが許される。
北電と手を携え泊原発を再開しようとしている道庁は、
口が曲がっても言ってはいけない言葉だろう。


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よれよれになりながら今年も終わろうとしている。
だが例年と比べ年越し蕎麦は楽をさせてもらった。
いつもであれば30日は営業日。
3時か4時かの早仕舞で蕎麦を打ち始めても朝までかかる。
老体を労わってくれたのか、2013年の30日は定休日である。
午前中は当日お引き渡しの蕎麦をこしらえ、
昼からは計量その他で費やして夕方からまた打ち始める。
本年の年越し蕎麦のご予約は200人前。
12月中旬に、ご自宅に大型の冷凍庫を備える常連の『I』Iさんに60食をお納めしていたので、
残りは140人前。
打とうと思えば3キロ玉を打つことができるが、丁寧な仕事を考えると1.7キロ玉がベスト。
約7個の蕎麦玉になる。
年越し蕎麦を打つ時間は楽しい。
一玉一玉、集中して打つごとに上手くなる自分が感じられる。
お客様からお代を頂き商売をしていながら、蕎麦打ちを勉強している様な状態は申し訳ないが、
そんな時間は滅多にあることではない。
一玉打ち終えるごとに課題が出てくる。
腫れ上がった指をなだめすかしながら、なんとか注文の蕎麦を打ち上げる.
どうかこの店の蕎麦を召し上がった皆様が、幸せな1年を過ごすことができるように祈りを込めて。
また新たな365日、日々精進していくつもりですのでよろしくお願いいたします。
日本人の感性は、大晦日を境にし、都合の悪いことも含めて過去のこととして流してしまいがち。
忘れていけないことは山ほどある。
まず第一は福島原発の問題。
廃炉の方策もたたず、汚染水を毎日垂れ流し続けている。
なのにこの国のトップは仕事納めに身内でゴルフ。
翌日には株式市場の大納会でしてやったりと納めの鐘を鳴らす。
そんなことをやっている場合ではねぇだろ。
自分のこととして怒っているのではない。
今生きている大人がきちんと責任を取らない社会が、
将来の子供たちにどんな影響を及ぼすのか、真剣に考えなければならない正念場である。
国家の無策で苦しんでいる人達が大勢居る。
故郷を失ってしまった福島の人たち。
故郷を失い続けている沖縄の人たち。
せめてそんな人たちに同調して1年を終わりたいと思う。

子供の頃、魚が得手ではなかった。
だが、鰊漬の中に入った身欠き鰊の切れ端は別物。
少し渋いあの味が好きで、そればかり選り分け食べて母親に怒られた記憶がある。
大きめに切られた大根も旨い。
しんなりと芯まで軟らかく漬かったキャベツも美味しい。
麹の白と色見のいい人参の千切りも甘い。
まさに漬物の中の横綱である。
雪混じりの木枯らしが吹き始める頃、
隣近所の母達は帆前掛けを締め、手押しポンプの有る井戸端に集まり漬物を作る。
何時もと違う光景に子供たちははしゃぎ走り回り叱られる。
そんな遠い昔の記憶を呼び戻してくれるのもこの鰊漬。
自分でもと3年前から挑戦しているが、今年初めて人様にお勧めできるモノが出来た。
自家製の塩麹を使ったのが良かったよう。
酸味がつく前に食べてしまおうと、お客さんにお出しすることなく自分たちのお腹に収まってしまった。
当店のパートさんは三人とも主婦である。
だが漬物は誰も漬けないという。
食べたくなったらコンビニで買うんだそう。
同じようにお茶もコンビニで買い求める商品の代表らしい。
『もったいねぇだろ!100円分のお茶っぱがあれば何本できると思う?』
などと言ってみても、手っ取り早い便利さに全身侵された連中には通じる筈もない。
学校から帰ってきて玄関の引き戸を開けると、
近所のおばさん達のにぎやかな話し声と漬物の匂いが漂ってくる。
それぞれ自慢の漬物を持ち寄る『お茶のみ』と称する集まりである。
毎日の暮らしに追われる中、母達のほんのささやかな楽しみだったのであろう。
コンビニのペットボトルと漬物パックでは絵になりません。
大体が今時の主婦の皆さんの集まりは『ランチ』。
夫に500円の弁当代を渡し、自分は1000円を超えるイタリアンの『ランチセットA』。
『これは別腹よねぇ~』と食後のデザートも頼み、3時ごろまでお喋りに花を咲かす。
当店は決してそんなお客様を敬遠している訳ではない。
むしろ混雑する時分どきを過ぎた時間帯には大歓迎である。
だが蕎麦屋というものは、『神田まつや』のように相席そのものが当たり前、
運ばれてきた蕎麦は三分で手繰り、入ってから十五分で店を出る。
なんていう使い方がやはり粋だと思うのです、自分は。





社会の中で生きるということは、自分という存在がどの様に評価されているかの確認の連続である。
しかし誰がどう思おうとも、他者に媚びることなく己の信じる道を生きてこそ、
生まれてきた価値があるというもの。
みんなその様な生き方をしたいと願うが、そうは問屋が卸さない。
上司に媚び、部下に媚び、心休まるべき家に帰っても妻や子供に媚びまくらなければならない。
毎週楽しみに観ている『人生の楽園』みたいな老後が自分にもある筈と、
早期割増退職金を手に、未知の世界に飛び込んでみても成功するのは極一部。
誰にも媚びずに生きるということは結構難しいことなのだ。
如何にも媚を売らなくてもよい商売の代表が手打ち蕎麦屋。
媚びないどころか、愛想も何もない頑固さが美味い蕎麦屋の看板になる場合もある。
小難しい顔をして奥の方で蕎麦打ちをするだけでやっていけちゃったりする。
だがそんなやり方が通用するのは宝くじに当たるようなもの。
営業時間中は常に客席に目を配り、
お会計の際には常連さん、一元さん分け隔てなく一言二言声を掛ける。
勿論それらは媚びるなどということではなくて商売人として当たり前のこと。
自分の信念を曲げ、儲けのためだけにお客さんに擦り寄ることを媚びると言う。
東京都知事 猪瀬直樹。
媚びるということを絵に描いたように分かりやすく示してくれた。
オリンピックのプレゼンでオーバーなジェスチャーで話し始めたころから、
なんだか胡散臭い奴になってしまったなぁ~と思っていた。
案の定、都知事という強大な権力を後ろ手で抱え、
ねぇねぇと擦り寄ったすえ5000万円もの大金をせしめたそう。
かつて作家として活躍していた頃は権力を批判する側に確か居た筈。
嘘の上塗りみたいな釈明は止めてさっさと辞職するがよい。






出るわ、出るわ、次から次と嘘つき食べ物屋のオンパレード。
食品に関する認識が甘かったとかいろいろほざいているが、
ほとんどは過度のコストダウンを現場に押し付けた結果だろう。
以前にも書いた覚えがあるが、どうしてこんな値段で,という食べ物が多すぎる。
口に入るものは何より安全安心が第一。
真っ当なモノにはそれなりの価格が付くことが忘れられてる。
牛丼にしてもそう、弁当にしてもそう、安いだけで売れる世の中は何処かがおかしい。
一流ホテルともあろうものが、そんな風潮に流されたとは情けないが、
売り上げの減少などにより、長年の歴史が培った誇りをたやすく打ち捨ててしまったんだろう。
すべての責任を現場に押し付けて幕を引こうとしているが、
使用する食材の見直しや、メニュー表示の変更ということで済む問題ではない。
偽装と知りつつ扱う現場の調理人の心の有り様にも、目を向けなくてはいけないと思う。
野菜の皮むきから始まり、何年もの修業を重ねている彼らの給料は、その努力に対する真っ当なものなのか。
自分の仕事にプライドは無いのかと批判する向きもあるが、
一日中働きずくめでも、食べていくのにぎりぎりの給料ならば、そんなものを持てというのが無理。
ホテルのレストランというと、一般の庶民にはなかなか行くことができないハレの場である。
そこで出される料理に、それなりの値段がつくのは当たり前で、安さを求めていくわけではない。
他の所より高くても、そこには最高の食材を使っているという信頼と、最高の調理の技が含まれていると納得するのである。
安いことだけを追い求める世の中は、そろそろやめにしませんか。
肉にしろ魚にしろ、食べ物として口に入るまでに何人もの人たちの手間暇を経ているのである。
そこん所をきちんと評価して、お代を払いましょうよ。
当店の蕎麦も高いと、時々言われる。
どこと比較されているのか分からんが、手打ち蕎麦とは高いもんなのである。
朝の三時から起き出し、良い蕎麦粉で蕎麦を打ち上げ、
氏素性の明らかな食材を使って食べ物にしつらえると、それなりの値段になるのである。
以前東京の蕎麦屋さんが来店した。
せいろと鴨せいろを注文。
ちょうど手隙だったのでいろいろ話を伺っているうちに勘定となった。
『1830円です。』
『えっ!せいろと鴨せいろだよ?東京じゃ鴨せいろだけの値段だよ!安すぎる!!』
こんなお客さんばっかり来ませんかね。
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