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今日は彼岸の入り。
朝から細かい湿った雪が間断なく降り続いている。
明日の朝、少しでも楽をしようと思って6時ごろから除雪作業。
20センチ近くの積雪である。
この間までの陽気で、すっかり地面が見えていたところに積もった雪は、
除雪機にとって難敵である。
砂利を巻き込まぬように、雪を集めて飛ばすオーガという装置の高さを、
常に調整しながらの仕事は倍疲れる。
この時期は一気に春に進むように思えた天気も、
一度必ず後戻りをするもの。
どうか最後の嵐となるように願いながらエンジンを切った。
昨日少し心が温まるニュースを見た。
拉致事件の横田さんご夫妻。
今までテレビに出られた時は、このような笑顔を見せることはなかった。
お孫さんやひ孫とモンゴルで一時であろうとも幸福な時間を過ごせたそう。
ご夫妻の高齢に配慮しての交渉の成果だと一部では報道されているようだが、
もしそうだとしたら『めぐみ』さんの救出に、いささかの影を落とすのではなかろうかと気になって仕方がない。
もう少し暖かくなると店前の市道は散歩を楽しむ人達が行き交う。
中でも微笑ましいのは、孫とじいちゃんばあちゃんのカップル。
時々立ち止まりながら、道端の小花などを指差し話す様子は平和そのものである。
そんな人として当たり前の幸せな時間を、横田さんたちは奪われてしまった。
孫やひ孫の一挙手一投足に『めぐみ』さんの姿を重ね合わせて見ただろう二人の気持ちを思うと、
何とも切なくてやるせない。
小泉訪朝の際、幹事長として同行した現首相は、
目の前で繰り広がれた歴史的な映像をよもや忘れてはいないだろう。
背筋を伸ばし曖昧な笑みを消し去った眼差は、
握手を求める腹の出た領主を圧倒していた。
アベノミクスだか何だか知らないが、
強い日本を取り戻したいと言っているようである。
ならば人として最低の『拉致』という行為を平気でやるあの国に対し、
何故もっと毅然とした対応を国家として出来ないのか。
横田さんご夫妻の心の底からの笑顔が見たいと思う。
時間は無い。

   
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時々弁当屋のチラシが新聞に挟まってくる。
端から競争する気など無いが、そんな日は若干客足が落ちる。
改めて折り込みを見てみると、なんとも揚げ物のおかずが多いことか。
子供の頃食べた弁当とは全く異質の眺めのものである。
学校給食が始まったのは確か小学校3年生の頃。
それまでの2年と、中学高校の6年間弁当を作ってもらった。
その当時は好き嫌いの多かった自分に弁当をこしらえるのは大変な苦労だったと思う。
一番多く登場したのは海苔弁当。
今みたいにフライなどがたくさん付いているものではない。
白米の上に敷かれた海苔がメインのおかず。
せいぜい、てんぷらかまぼこを甘辛く煮付けたものが添えられる程度。
味噌汁の具を掬って、そのままおかずにした様な級友の弁当に比べると、
相当に贅沢な海苔弁だった。
当時の弁当の容器はアルマイト。
新聞紙で包み鞄に入れるのだが、汁気の多いおかずの時は汁が漏れ出す。
漏れ出た汁は教科書やノートの端っこを薄茶色に汚した。
食べ物の匂いが、食べ物以外のものに付くことに神経質だった自分は、
『美味しかったよ、ありがとう!』という言葉の代わりに、
『また、汁が漏れてたぞ!』なんて文句を言っていた。
とんでもない親不幸ですな。
そう言えば、あの頃の昼食の風景は異様だった。
みんな弁当の蓋を被せ隠しながら食べていた。
持ってこれない子は教室を出て体育館に行く。
お喋りする声もあまり聞こえない。
少なくとも楽しい時間ではなかった。
次の世代を背負う子供たちには、そんな思いをさせてはいけない。
3年前の石巻市大川小学校の校庭。
和やかな給食の時間を過ごした70余名が集められていた。
『津波てんでんこ』。
古老の教えが守られなかった悲惨な例となった。
復興という大義名目のもとに忘れされようとしていること、
または国という権力によって封じ込められようとしている記憶がある。
3年という歳月の区切りに自分たちがなさねばならぬこと。
依然として多くの人達が先の見えない仮設住宅で暮らしている事実など。
たまたま災害を免れた我々には日々の暮らしの中で、
心の片隅に常に重い石のように、そのような記憶を抱えて生きていくことが務めに思える。


先週と同じく今週も週末の大雪。
日曜の朝から降り始めた雪は夜半から風を伴い、
月曜日には凄いことになっていた。
店も自宅も玄関はすっぽりと吹き溜まりに埋まり開かない。
辛うじて開いた裏口から外に出てみると、
前を通る市道側はそうでもないが、自宅周りは深い所で1メーター50センチの積雪。
やれやれと溜息をつきながら、降りが弱まった夕方から除雪にかかった。
雪の下になってしまった除雪機を掘り起こしエンジンを掛ける。
ご機嫌良く始動してくれたが雪の飛び方にいつもの勢いが無い。
しばらくすると投雪口が雪で詰まってしまう。
主人と同じである。
前立腺肥大を絵に描いたような故障。
修理屋さんの診断の結果、入院と相成った。
代わりにと置いて行ってくれた小さな機械で、やらないよりはましという作業をしていると、
お隣のご主人が、タイヤショベルで殆どの雪を片付けてくれる。
言葉にならないくらい有難い。
持つべきものは良き隣人、感謝、感謝。
100坪以上の駐車場をちっこい機械で除雪するのは大変な仕事。
だが風の流れに乗せて除雪機で雪を飛ばす作業は結構楽しい。
ガキの頃、友達数人とおしっこの飛距離を競いあった楽しさと似ているかもしれない。
あの当時の勢いの半分でもと願うのだが現実はなかなか厳しい。
昔々、デパートのトイレで60過ぎの爺様と隣り合わせで用を足すことになった。
自分より先に態勢に入っている爺様から水音が聞こえてこない。
するとそのうち爺様は己の分身に向かい『シー、シー』と励ましの言葉を掛け始めるではないか。
思わず噴き出しそうになるのをこらえながらその場を退散したが、
今はその時の爺様の気持ちがよく解る。
石川優美というハワイアンの歌手がいる。
癒されるとはこのことかと思わせるような声の持ち主。
彼女の曲『老眼になった君へ』を是非一度聞いてみてください。
年を取るということもそんなに悪いことじゃない、
逆に見えてくるものがたくさんあるではないかという歌。
自分の考え方に同調するんですな。
豊かに老いるという老後が確かにある。


東京は大雪で大混乱の様子。
45年ぶりというので、よくよく考えてみたらその大雪を体験していたのである。
相模原は東林間の教会に下宿していた。
朝起きると膝ぐらいまでの積雪。
たまたまあった角スコップで玄関先までの通路を除雪していると、
隣近所の人達が集まってきて『さすがに上手だね~』と言う。
何のことは無い。
投げる分だけの雪に切れ目を入れるというスコップの使い方をみんな知らないだけ。
その頃の教会には独身の牧師と2,3人の学生が共同生活をしていた。
炊事は当番制で毎日キャンプをしているような楽しさがあった。
遊びまわる余裕など無かったので門限も決められておらず、
割と自由な暮らしだったが一つだけ暗黙のルールがあった。
それはどんな食料でも全員で分け合って食べること。
朝メシのウインナーソーセージも半端な一本は細かく人数分に切る。
夜、町田の喫茶店でボーイのアルバイトをしていた。
11時頃に仕事が終わると小田急線東林間駅前の商店街は全部閉まっている。
唯一『小僧寿し』の小さな店舗の灯りが灯る。
美味そうな昆布の薄皮を被った鯖のばってらを横眼で見ながら通り過ぎていた。
バイト代が出た或る夜、経木に入ったばってら鮨を思い切って一箱買う。
明日の朝、みんなで切り分けて食べようと思っていたのだが、
教会に辿りついてみればどうにも腹が減って堪らない。
布団を頭から被りばってらにかぶりついていると、
たまたま自分に用事があり部屋に入ってきたY牧師に見つかってしまった。
こっぴどく怒られると覚悟をしたが、
『君にそんなひもじい思いをさせていた僕が悪い』と自分を責めるではないか。
今思い出しても恥ずかしくて身が縮むような出来事である。
たしか食費とその他の経費を含めて月1万円ほどしか払ってなかった。
食べ盛りの若者数名を養っていくには如何にも少ない金額。
牧師の給料を相当注ぎこんでいたであろうY牧師に悲しい思いをさせてしまった。
子供の頃の好物はマルハの魚肉ソーセージ。
だが家族で切り分けると、口に出来るのはほんの数センチ。
一本まんま食べるのが夢だった。
独り暮らしを始めてすぐ、念願の一本食いをしてみたが少しも美味くない。
食べ物の味とは舌先で感じるものではなく、心で感じるもの。
あの夜の鯖のばってらの味は全く覚えていない。

昔の灯りは60ワットの裸電球。
ソケットのつまみをパチンとひねると暖かい黄色が灯る。
照らし出すのはまぁるいちゃぶ台。
質素なおかずしか並んでいなかったが、食卓には家族の団欒があった。
テレビはまだ無くて、たまにラジオがかかる。
些細な諍いは、一人ひとりの顔を照らし出す電灯が和らげてくれた。
昭和20年代の心温まる光景。
今、住まいは明るくなったが、かえって個の輪郭を白々と際だたさせるだけ。
『孤食』は子供だけではなく大人にまで広がっている。
みんなで囲む食事には行儀や作法が求められた。
箸の使い方などはその最たるものだが、
厨房から見ていると『孤食』のせいなのか、箸使いの下手な人が増えているような気がする。
蕎麦は正しい箸の使い方が試される食べ物。
『ばってん箸』や『にぎり箸』では綺麗に手繰ることは出来ない。
最後に笊の目に引っかかった切れ端は、きちっとした持ち方で直角に摘むと取れる。
茶碗にご飯粒が2,3粒くっついたまま席を立とうとすると怒られた。
お百姓さんが八十八回も手を掛けて作ったお米を粗末にするもんじゃないと。
蕎麦も同じだと思うのだが、洗ったように食べてくださる方は十人に一人ぐらい。
客席に背中を向けて仕事をしているが、そんなお客さんの顔はすぐ覚えてしまう。
歳のせいなのか大根の皮や葉っぱを捨てられなくなった。
大根は皮を剥く前に、たわしでごしごし洗う一手間をかける。
葉のところは元の部分に土が付いているので、これもよく洗う。
1週間分取って置いた皮と葉っぱは、休みの朝の玄米雑炊になる。
皮も葉も5ミリぐらいに切り刻み胡麻油でさっと炒める。
後は『にの字』秘伝の出汁を注ぎ、冷や玄米と少々煮込むだけ。
今週の休みの朝食は、残っていた納豆と漬かり過ぎた人参の糠漬けを加えてみた。
味付は沖縄の天然塩で作った塩麹。
これがなかなか美味いのなんの。
最近の奥様達はスーパーで大根を買うと、その場でボギッと葉っぱをむしり取り捨ててしまう。
笊に蕎麦がいっぱい付いてても何とも思わない、
それと共通の感覚でしょうな。




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