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大学へ通うために東京という都会に出て驚いたことは山ほどあった。
たとえば服装の配色。
物心ついてからの地方のおしゃれは目立ってなんぼの世界。
ところがこちらのお嬢様達は、真っ白いポロシャツにベージュのカーディガンを羽織り、
下は明るいグレーのスカートなんぞを合わせている。
そんな色彩感覚に溜息が出るほどセンスの差を感じてしまった。
他人との間合いというか距離の取り方にも大きな違いがある。
たとえば駅前の蕎麦屋。
四人掛けのテーブルが並んでいて混んできたら相席は当たり前。
『いやーどうもすんません、ご一緒させてもらいます』なんてことも言わない。
注文の品が届く間、新聞や文庫本を見たり、
壁にぶら下がった品書の木札を端から端まで読んだりしても、
向き合った他人に声を掛けることはまず無い。
ここ北海道の蕎麦屋では余程のことがない限り相席は無理。
人口密度が低いせいかもしれないが、
見ず知らずの方と同じテーブルで食事をするぐらいなら、
帰ってしまうというお客様が圧倒的に多い。
席数の小さな飲食店が苦戦する原因でもある。
ならば相席や空席待ちを厭わないほどの魅力的な蕎麦を、
ということで2月から新しい品書きの登場です。
以前ご常連の『だて様』に温かい納豆蕎麦は出来ないのかと言われた。
かけ蕎麦の中に納豆がどんより沈んでいる様子しか想像できなかったので曖昧な返事で終わらせていたが、茹でた蕎麦を冷水で締めて湯通しする『あつもり』というやり方があった。
熱々の蕎麦にひき割り納豆、温泉卵、揚げ玉、さらし葱を盛る。
薬味はおろし生姜と大葉の千切り。
濃い目にしつらえたかけ汁を六分目ぐらいに張ってお出しする。
お楽しみは途中からの蕎麦湯。
少し残した器の中に注ぎ入れると納豆カルボナーラに変身する。
これが美味いのなんの。是非是非お試しあれ。
もうひとつは大分県の名物『鶏天』を乗せた温かい『鶏天そば』。
生姜醤油で下味を付けた鶏胸肉のてんぷらは柔らかくジュゥシー。
食べごたえもあるので、『昼に蕎麦じゃ夕方まで持たねぇ~』という皆さんにもお勧めです。



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昔の灯りは60ワットの裸電球。
ソケットのつまみをパチンとひねると暖かい黄色が灯る。
照らし出すのはまぁるいちゃぶ台。
質素なおかずしか並んでいなかったが、食卓には家族の団欒があった。
テレビはまだ無くて、たまにラジオがかかる。
些細な諍いは、一人ひとりの顔を照らし出す電灯が和らげてくれた。
昭和20年代の心温まる光景。
今、住まいは明るくなったが、かえって個の輪郭を白々と際だたさせるだけ。
『孤食』は子供だけではなく大人にまで広がっている。
みんなで囲む食事には行儀や作法が求められた。
箸の使い方などはその最たるものだが、
厨房から見ていると『孤食』のせいなのか、箸使いの下手な人が増えているような気がする。
蕎麦は正しい箸の使い方が試される食べ物。
『ばってん箸』や『にぎり箸』では綺麗に手繰ることは出来ない。
最後に笊の目に引っかかった切れ端は、きちっとした持ち方で直角に摘むと取れる。
茶碗にご飯粒が2,3粒くっついたまま席を立とうとすると怒られた。
お百姓さんが八十八回も手を掛けて作ったお米を粗末にするもんじゃないと。
蕎麦も同じだと思うのだが、洗ったように食べてくださる方は十人に一人ぐらい。
客席に背中を向けて仕事をしているが、そんなお客さんの顔はすぐ覚えてしまう。
歳のせいなのか大根の皮や葉っぱを捨てられなくなった。
大根は皮を剥く前に、たわしでごしごし洗う一手間をかける。
葉のところは元の部分に土が付いているので、これもよく洗う。
1週間分取って置いた皮と葉っぱは、休みの朝の玄米雑炊になる。
皮も葉も5ミリぐらいに切り刻み胡麻油でさっと炒める。
後は『にの字』秘伝の出汁を注ぎ、冷や玄米と少々煮込むだけ。
今週の休みの朝食は、残っていた納豆と漬かり過ぎた人参の糠漬けを加えてみた。
味付は沖縄の天然塩で作った塩麹。
これがなかなか美味いのなんの。
最近の奥様達はスーパーで大根を買うと、その場でボギッと葉っぱをむしり取り捨ててしまう。
笊に蕎麦がいっぱい付いてても何とも思わない、
それと共通の感覚でしょうな。




毎朝2時半か3時には起きる。
夜明けまでにはまだ遠い。
2階の窓から10キロほど離れた沙留の街の灯りが見えるのだが、
凍れる日にはチカチカと尖がった様な瞬きになる。
あぁ今日も打ち場は寒いなと覚悟を決めて下に降りる。
だが子供のころに経験した旭川の真冬に比べたら大したことはない。
氷点下25度や30度は当たり前。
確かマイナス30度を超えると学校が休みになり、
合図のために打ち上げられる花火が楽しみだった。
スキーを履いて登校することもよくあって、
そんな時には馬そりを待ちうける。
こっそり後ろから近づき、スキーのストックをそりに引っ掛ける。
うまくいけば、漕がなくても学校までの4,5キロの道のりを連れて行ってくれるのだが、
途中で必ず馬喰ろうのおっさんに見つかり手を離すことに。
馬の首に掛けられた鈴のシャンシャンという音とともに思い出す。
今年の流氷も大分近づいて来た様子。
寒さの質が変わってきた。
渚滑川の河口付近の海原に『けあらし』が発生するのはこの時期。
きのうの日曜日は、そんな幻想的な光景を一日中眺めることができた。
何回かカメラに撮ったのだが勇壮な雰囲気を写すことは難しい。
アマチュアカメラマンとして有名な湧別のTさんはご常連。
いつも次男の息子さんと一緒に開店15分ぐらい前に来られる。
『いやぁ~早く付き過ぎちまって!』
どうぞどうぞと席にお通しするのが常。
蕎麦を食べながらの途切れがちな会話も、喋らなくても通じ合える親子の見本みたいで良いなと思ってた。
年末年始ともにご来店されなかったので、どうしたのかなと気に掛けていたところ、
先週の金曜日の開店直後、Tさんが独りで入ってきた。
『7人だけどいいかい?』と言うのでテーブルをくっ付けて席を作っていると、
『いつも一緒に来ていた息子、死んじゃったんだ』。
びっくりしてお話を伺うと、3日ほど前に心不全で亡くなったとのこと。
葬儀の後、いつも来ていた蕎麦屋へということで身内の方を連れて来られた様。
大勢のご家族に囲まれたTさんだが、何となく寂しげに見えてしまう。
心からご冥福を祈る。



13日の祝日、奥さんに誘われて網走に行った。
目的は呼人にあるTリゾートホテルのランチバイキング。
11時には行列ができるほどの人気だそうで間に合うように車を走らせる。
会場のレストラン前のロビーには数十人の先客。
温泉の入浴料も含めて一人約2000円。
Tリゾートといえば道内屈指のホテルを各地に有する。
値段も値段なだけにあまり期待はしていなかったが、
どれを食べても普通かそれ以下のがっかりする内容。
今が旬の牡蠣でも並んでいるかと思ったが、当たり前かもしれないがそんなものは無し。
目立ったのは鶏肉やサンマ、鱈、鮭を使った料理。
値の張る牛肉や豚肉を使ったものはない。
もともと二人ともバクバク大量に食べる方ではない。
おまけに味が混ざるのが嫌なので、皿に二種類ほどを取ってちまちまと食べる。
隣のテーブルはそれぞれ70キロ以上はあるなと思われる母と娘。
口の端から塩焼きソバの麺を垂らしながら手は次の皿をもう持っている。
バイキングは元を取らねば損という考えも分からないわけではないが、
前の日から何も食べていないような食事の仕方はみっともないしょ。
ほどほどの量をよく味わいながら食べる、
そんなお客さんが多くなると、提供する側ももっと良いものを出せる筈。
案内されたテーブルには、あらかじめ鶏の塩鍋というのがセットされていた。
塩味のスープで鶏腿と野菜を煮て食べる鍋。
これが何とも酷い鶏肉。
臭みがスープにも溶け出し野菜も食べれたもんじゃない。
毎月ため息をつきながら支払いをしている貧乏蕎麦屋でも、
こんな鶏肉は使いませんぜ、『鶴雅』さん。
なんだかなーと思いながら大好きな温泉に浸かっても心は満たされない。
思い立って『そば切り温』さんに寄ってみようということになった。
もしかして休みかなとドキドキしながら林の中の小道を抜けると、
駐車場にはお客さんの車が停まっていて営業中。
靴を脱ぎ昭和の香りが色濃い店内に入ると薪ストーブが赤々と燃え暖かい。
すぐに店主中村さんご夫妻が気づき出迎えてくれる。
お腹はほぼ一杯なのに注文したもり蕎麦は、
美味くて美味くてするりと入ってしまう。
丁度仕事の切れ間であったのか、30分ほどいろんなお話をすることができた。
物足りなかった心の隙間を、お二人の飄々としたお人柄が満たしてくれる。
帰り際には仕事の手を止め、わざわざ外に出て見送ってくれた。
皆さんも是非一度行かれるとよい。
食事とはただ胃袋をいっぱいにするものではなく、心も満足させるものでなければならない。
そんなことを気付かせてくれる蕎麦屋さんです。
場所はちょいと分かりにくい。
一番迷わずに行けるルートは、北見に向かって呼人の町外れ、
金印のワサビ工場の付近に天都山への大きな標識があるところで左折。
山道を1キロほど登ると『感動の小径』という道標を右折。
1キロも走らないうちに左道路脇に『そば切り温』の看板を発見できる。
古いものがすべて良しとは言わないが、時代とともに失ってきた大事な何かを、
旨い蕎麦を手繰りながら考えられる時間と空間は滅多に無い。
この地方の積雪はいつも風を伴う。
新しい年になってからの雪は毎日のように降っているが吹雪ではない。
しんしんと重たい雪が絶え間なく舞い降り、
外に出てみると結構な量になっている。
そのまま放っておくと固く締まって大変なことになるので、
連日の除雪作業で正月休みは終わることになりそうである。
冬場のかけがえのない相棒、ホンダの9馬力除雪機も10年目。
壊れても新しく買い替える余裕はないので、
なんとか頑張ってくれと、何時もより入念な手入れをしながら話しかけている。
自然界の草や木は勿論のこと、人間が作り出したすべてのものにまで心があるように思う。
ガキの頃、川辺で遊んでいておしっこがしたくなったら、
『川の神様、ちょいとごめん』と言いながら川面に向かって小便をした。
あれは北海道の先住民族であるアイヌの考え方の影響かもしれない。
すべてのものに神が宿り、心があるという彼らの教え。
消費することが美徳だと思われたバブルの時代、
それが弾け飛んでしまい失われた10年が今に続く。
デフレ脱却には個人消費の上昇が必要だそうで、
消費税を上げながら、返す刀でモノを買いなさいと政府は言う。
東京周辺はいざ知らず、地方の人達にモノを消費する力は今は無い。
現在使っているものを出来るだけ大事に使おう、
もし壊れたら可能な限り自分で修理しようと皆考えている筈。
前に観たテレビの風景、昔ながらの下請け工場が連なる墨田区。
大手メーカーからの発注が途絶えたため随分と動かせていない金型機械。
給料を払えず従業員を解雇してしまって一人きりになった経営者は、
いつかまた動かせる日のために、機械に話しかけ手入れをする。
『イランカラプテ』
あなたの心に触れさせてください、という意味のアイヌの挨拶の言葉。
観光産業の振興を図る道庁は、この文言を『おもてなし』の意と捉え、
キャッチフレーズに使いキャンペーンをやろうとしている。
過去のアイヌ民族に対する迫害や差別の歴史を振り返りもしない役人の仕事。
そしてこの言葉は、人に対してだけに向けられるものではないと思う。
一本の草、一滴の水、一面の大海原、
すべての存在に対する尊敬と畏怖の心から生まれたもの。
人間が守るべき環境の保護にこそ使われることが許される。
北電と手を携え泊原発を再開しようとしている道庁は、
口が曲がっても言ってはいけない言葉だろう。


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