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休みの日の楽しみは映画館。
シルバー割引になるのでチケットは1000円丁度也。
昼食代と併せても2000円未満のささやかな息抜きである。
ビデオやDVDでは観ない。
『蕎麦好き』だけど家で作ってまで食べない、いわゆる『蕎麦屋好き』と同じである。
洋画が好きなのだが、自分のように原音が聞きたい字幕派は最近隅に追いやられている。
3Dが全盛のご時勢、字幕の2Dの上映時間は朝早くか最終回。
北見までの運転を考えると、どちらもちと辛い。
6,7歳の頃から叔母に連れられて映画を見に行った。
今考えると、結婚前の医学生だった叔父とのデートの安全牌。
世界初のシネマスコープ方式で撮影されたことで有名な『聖衣』もおかげで観ている。
小学時代を過ごした旭川の神居小学校は、不定期で映画鑑賞の授業があった。
学校の体育館などで観るのではない。
神居から繁華街の映画館まで5,6キロの道のりを歩くのである。
主に観たのはデイズニーの作品だったような記憶がある。
『砂漠は生きている』という有名なデイズニー初のドキュメンタリー映画も観ていて、
シルクロードに憧れを抱くきっかけにもなった。
当時の映画はフィルム。
道内に配給されるフィルムが、傷んでいたのかもしれないが上映中にたびたび切れた。
カラカラと映写機が空回りする音が聞こえ、
『あぁ~』とか『またかよ!』とかの野次が飛び交う中、
明かりが付いた映写室で、汗を掻きながらフイルムを繋ぐ技師の姿が見える。
映画『三丁目の夕日』に描かれた昭和のよき時代の風景そのものだった。
あの映画の背景は東京オリンピック。
戦後の復興を成し遂げた国民総意のイベントだった。
地方も東京も、みんな一様に国際社会に肩を並べた喜びを共有できた。
さて、2020年のオリンピック開催が決定した。
喜び浮かれている映像を見ながら、ちょっと待てよと思う。
アベノミクスとやらで潤っているのは大企業のみ。
一般の人々や零細企業は、円安によるいろんなものの値上げに悲鳴を上げている。
ましてや福島の人達の苦しみは何をかいわんやである。
プレゼンテーションでの安部首相の『東京は安全』発言が話題を呼んでいるが、
東京だけ安全であればよいのかとの批判は当然。
オリンピックの準備と同時に被災地の救済が進むように願う。
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中国に、パリにそっくりの街づくりをした団地が出来たそうである。
ディズニーランドからピカチューまで厚顔無恥にコピーしまくるあの国のこと。
ある程度お金を持った階層に訴えるには、エッフエル塔や嘘シャンゼリゼ通りは効果があるのだろう。
だが、そんな行為が国際的にどんな評価をされるのかを考えていないことが、
自国の数千年の歴史の重みを置き忘れ、欧米化に走る中国の文化的な現状の表れだろう。
物真似は所詮それだけのこと、裏寂しい思いのみが募るだけ。
何年か前から『北方謙三』の『水滸伝』に魅了された。
全巻読み通し、今は志半ばにして壮絶な最期を遂げた楊志の息子の『楊令伝』を閉じようとしている。
多少のフィクションはあろうとも、今から九百年ほど前の北宋末期の頃である。
国を憂い、民を思う素晴らしい男たちがあの国に確かに存在していた。
バブル経済に踊り、貧富の差が広がる一方であるという現在の中国とそんな歴史が結びつかない。
ところ変わって我が街ここ紋別。
半月ほど前、ラベンダーガーデンとやらが出来たそうなので確かめに行ってみた。
飲み屋さんが軒を連ねる『はまなす通り』の入り口辺り。
雑居ビルを取り壊した空き地に、ラベンダーのプランターが並べられ、
なぜか小便小僧の白像も置かれている。
天気の良い昼下がり、眺める人も中で憩う人も、人は一人もいない。
観光客で賑わう富良野のラベンダー畑にあやかろうとしたのか。
2年前に開園したオホーツク流氷公園の猫の額ほどのラベンダー畑に連動させたつもりなのか。
中国の物真似と同じ気恥ずかしさを感じ、大して暑くないのに見ているうちに汗が出てくる。
確か紋別市の市花はハマナスの筈。
昔は市道の脇にたくさんのハマナスが植えられていた。
ところがあの花は雑草などに弱く、まめに手を入れないと市街地では上手く育たないらしい。
花はそれぞれに風景を選ぶ。
富良野のラベンダーも、あの丘陵地帯の眺めがあって映える花。
高倉健が『網走番外地』で歌っているとおり、
オホーツクの海の色に似合う花はハマナスでしょ。
税金の無駄使いと物真似観光は止めましょう。
8月最後の週末は、確か摩周の新蕎麦祭りのはず。
高橋邦弘名人が蕎麦打ちの技を披露しているだろう。
これから全道各地で続々と新蕎麦の収穫祭が開催される。
9月最初の土日は幌加内の蕎麦祭りである。
店を始める前は毎年のように行っていたが、
今は臨時休業の貼紙をする踏ん切りがつかない。
幌加内は、ここんところの集中豪雨で、結実間直の蕎麦の多くが倒伏しているという。
何とか無事に収穫を終えますよう祈らずにいられない。
局地的な不作に備え、ほとんどの蕎麦屋は複数の生産地と取引を持つ。
だが当店は幌加内一本槍。
栽培から製粉まで手がける『そば工房坂本』さんの蕎麦作りを信頼し切った結果である。
さて、一月ほど前、農林水産省の役人が二人来た。
米飯の提供をしているかと聞くので、してるよと答えたところ、
米の生産地を表示していないので法律違反だという。
そういえば去年、そんなことを書いた文書が道庁から届いていたのを思い出す。
何で米だけこんなことをしなきゃなんないのと小役人に聞くと、
米が一番多く消費されているからとか何とか訳の分からない答え。
『TPP』交渉で保護なんぞ出来る訳が無い米農家に対する言い訳の一環だろうと思いつつ、
食の安全を図るのが最終目的であるならば、
蕎麦屋ならば蕎麦粉、鮨屋なら魚、焼き鳥屋なら鶏、
みんな平等に生産地を明示しなさいね、という法律だったら頭の悪い自分にも納得できる、
そこんところを、きちんと説明してくれねぇかと言うと、
取り敢えず今は米だけだが、そのうちそうなる筈であると答えにならない。
大して暑くも無い日だったが、汗びっしょり掻いて返答する小役人が気の毒になり、
法違反を認識して改善しましたという証拠になる写真、
『当店で使用する米は国産米です』と印刷して用意してきた紙を壁に貼り一緒にカメラに収まる。
その後しばらくしてから、道庁の農政課から改善命令書みたいなものがご丁寧に届いた。
何とも早、手間隙と税金をかけたお仕事ぶりである。
開店以来、食材の生産地表示は可能な限りやってきた。
法律がどうのこうのというよりは、食べ物を提供する者として当たり前のこと。
新蕎麦から話題は大きく逸れてしまった。
当店の新蕎麦のご提供は9月の中からとなる。
どうぞお楽しみに。
大勢のお客様で混雑したお盆の期間が終わった。
店主、従業員とも懸命に応対させていただいたが、
満席で帰られたお客様、また売り切れ仕舞で帰られたお客様、
本当に申し訳ありませんでした。
昨年はお盆に加え、ミシュランガイド掲載の効果もあり今年以上の想定外の混み様だった。
車の中での空き待ちのお客様が常に15,6名もいらっしゃるようになると、12名で定員の店は大変である。
そんな状態になると機械的にお客様を回す接客に繋がりかねない。
観光バスの団体客で賑わうドライブインになってはいけないのである。
2,3日前、閉店後に遅いお昼の賄を食べながら、パートさんにこんな話をした。
去年のお盆の様子を憶えているかと聞いたところ、
忙しかった記憶はあるが具体的には何も頭に残って無いという。
ところが今年は満席で帰られたお客様一人ひとりの顔が目に浮かぶそう。
5年の歳月を経て、仕事に余裕が出来てきたせいもあると思うが、
店主がいつも言っていること。
注文伝票を見ながらの仕事ではなく、お客さまの顔を見ながらの仕事が出来なければいけない、
このことが浸透してきた結果だと考えたい。
『蕎麦屋で憩う』がこの店のコンセプト。
蕎麦の前にお酒を一合だけ楽しむおじいちゃんの横で、
家族連れがいただきますと手を合わせて蕎麦を食べる。
いろいろなお客様がそれぞれに楽しく蕎麦を食べることで店の雰囲気が醸し出される。
それを目立たぬように臨機応変に少し手を添えるのが接客のコツ。
良い雰囲気は良いお客様を呼び、憩える蕎麦屋へと繋がっていく。
さて、火曜の定休日、北見へ出かけた。
大雨警報が出ていたので大急ぎで買い物だけを済まし帰途に着く。
仁頃の交差点を過ぎた辺りから横殴りの雨が降り出す。
視界は10mも無い。
ルクシのトンネルを抜ければなんとかなると思い、
ハザードランプを点けながら、20キロ位の速度で前車の尾灯を追う。
山を越え海側に出ると予想通り雨は止んでいた。
こんな雨はここ数十年経験したことの無い雨である。
大丈夫か!?地球!!


お盆の時期になった。
墓地に近いこの店は1年で一番の賑わい。
お墓参りの家族連れを見ると子供の頃の記憶が蘇る。
親族の墓地は旭川の神居と近文にあった。
神居はすぐ近くだったが、近文は春光町のバス停からまっすぐに延びる道をひたすら歩く。
子供の足で小一時間以上はかかっただろう。
旭川の夏は暑い。
炎天下の墓参りの後の楽しみはロータリー近くの『亀や』のアイスクリームだった。
足高の銀製の容器にウエハスが添えられたアイスは、年に一度きりのご馳走。
器に付いた残りを舐めたくてしょうがなかった。
乳製品は当時の高級食材。
週に一二回、牛飼いの農家が一升瓶に入れて届けてくれた牛乳、
鍋で沸かすと分厚い黄色の膜が張るあの味を忘れることが出来ない。
そんな牛乳を使ってクリームシチューの様なものを母親がよく作ってくれた。
今から50年前のことである。
戦後の復興を遂げたこの国が東京オリンピックを開催する。
強く記憶に残るのがマラソンの円谷幸吉である。
裸足のランナー『アベベ』と走り、銅メダルを獲得した彼は次回のメキシコを前に頚動脈を切り自殺する。
『母上様、三日とろろ美味しゅうございました。』で始まる遺書は何度読んでも涙を誘う。
東京で全力を出し切った自衛官の円谷は足の故障に悩まされ続けた末、
次回も表彰台にという周りのプレッシャーに押しつぶされて人生を終える。
最後のひと時に脳裏に浮かんだのは母親の手料理だった。
もうすぐ終戦記念日がやってくる。
あの戦争で命をかけて祖国を守ろうとした多くの若者たちも、
特攻機の操縦桿を握り締めながら叫んだ声にならない言葉は、
『天皇陛下万歳!』ではなく、『母さん!』だったと思う。
先日行きつけのスーパーで青紫蘇の束を売っていた。
夏の食卓には紫蘇の味噌巻きがあったのを思い出す。
記憶をなぞりながら作ってみたが母親の味とは微妙に違う。
『これも美味しいよ』との声を聞きながら遺影の前に供えた。
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