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原作は直木賞受賞桜庭一樹の同名小説。
監督は帯広出身の熊切和嘉。
函館が舞台の前作「海炭市叙景」で評判を呼び気になっていた監督である。
邦画はあまり見ない。
読んだ小説の映画化もほとんど見ない。
自分の頭の中で作り上げた映像と虚しい違和感を感じさせられるから。
だが今回は熊切監督と、音楽のジムオルークの名前に惹かれ見に行きました。
映画は流氷の軋む音から始まる。
流氷原を映す粗いざらついた映像も良く、一気に引き込まれた。
「近親相姦」という重いテーマの映画。
どうしようも無い関係に、どうしようも無いどんよりとした紋別の風景が良く似合う。
そんな二人の閉塞感を表現するものとして、原作者は数か月の間流氷に閉ざされるこの地を選んだのだと思う。
淳吾と花が暮らす大山町の福祉住宅も、息の詰まるような狭さと貧しさがピッタリの選択。
バスから降りて坂道を登る淳吾を出迎える花。
ジムオルークの音楽が切なく絡む。
ガリンコ号もステアもギザもオホーツクタワーも出て来ないが、
紋別という街を何とも魅力的に映し出している。
だが、重たいテーマのせいなのか、R15という規制のせいなのか、
市民的な盛り上がりや、上映会を紋別でといった話は全く無い。
良い映画なのに残念ですな。
ところですぐそばでクマが出たようです。
店から300メーターほど離れたバイパスを跨ぐ跨線橋の草叢。
鹿もキツネも出るので、そろそろクマかなと思っていた。
生ゴミなどの処理に気をつけるとともに、なんとか山に戻って欲しい。
今朝はW杯のコロンビア戦を見ようと思い、1時半から起きて蕎麦を打った。
決定的な体力不足による負け。
まともなゲームは前半だけである。
守備を固める相手に、いくらサイドから放り込んでも跳ね返されるだけ。
裏へ走り込む体力、あるいは自分で突破する体力、いづれも欠けていた。
そんなチームが守りを捨てる選択をし、虚しい攻撃に出た結果の敗戦。
4年後は本田も香川もまだ十分に戦える年齢である。
もう少しの辛抱かな。









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鬱陶しい天気が続いている。
偏西風が蛇行しているだの、南からの高気圧の張り出しが弱いだの言われているが、
地球温暖化による異常気象がじわじわ攻めよって来ているのだ。
人間が我が物顔に自然界で好き勝手をやってきた結果である。
北海道には梅雨が無い筈だが、ここ10日以上は本州の梅雨と同じ。
東京の梅雨はそんなに嫌ではなかった。
学生の一人暮らしのこと、炊事も洗濯も梅雨の影響を受けるほどマメにこなしていた訳ではない。
だからなのかもしれないが、困った記憶がほとんど見つからない。
満員電車に微かに漂う衣装替えの樟脳の匂いや、
肌と肌が嫌でも触れ合うベトベト感にはすぐ慣れた。
だが最後まで違和感が残ったのは雨戸。
雨が降ってくると東京の人たちは急いで雨戸を閉める。
室内は真っ暗。しかも蒸し蒸ししている。
ガラスが汚れないのが利点なのかもしれないが、
北海道の大地で育った身としては、どうにも我慢できる空間ではなかった。
閉所恐怖症。
生まれながら持っていた性癖に東京の梅雨が火を付けた。
家を建てる時何より優先したこと。
見晴らしがいいことと同時に、カーテンを閉めなくとも平気な家。
今のところ、海側にも山側にも開けている所には他の家は無い。
理想的な開放感の溢れる環境を確保している。
だが最近の世の中、いささか息苦しい感じが漂っているではないか。
集団的自衛権という訳の解らぬ文言の解釈で、
この国の政府は過去の過ちを再び繰り返そうとしている。
先日の北海道新聞のコラム「卓上四季」だったと思う。
「君死にたもうことなかれ」の反戦歌で知られる与謝野晶子を取り上げ、
安倍政権の強引な憲法解釈変更の手法を批判していた。
読まれていない方はぜひ一読されたら良い。
「親は刃を握らせて人を殺せと教えしや」である。

休みの月曜日、久しぶりに映画を見に行った。
「ニード・フオー・スピード」実写が売りのカーアクション映画。
運動会の代休の小4の孫が一緒。
彼は大の車好きである。
「免許をとったら乗りたい車はなーんだ?」と聞くと、
「じーたんが乗ってるコペン!」と泣かせる返答をする。
屋根を外して走ろうと約束していたが、あいにくの小雨模様。
道々、バトミントン少年団のことや、ガールフレンドのことなどを聞かせてもらう。
この日のイオンシネマは同じ様な運動会休みの子供達で混み合っていた。
アニメに並ぶ連中を尻目に、ポップコーンと飲み物を抱えガラガラの3番スクリーンへ。
字幕には小4には難しい漢字が多数出てくる。
振り返って考えてみると、自分は小学校の1年から叔母に連れられて字幕の洋画を見ていた。
読めない漢字は飛ばして全体の流れを掴む。
想像力を目一杯に働かせて、目の前に展開されて行くスクリーンに必死に追いすがる。
それはそれでなかなか楽しい作業だった。
見終わった後、「びっくりドンキー」でハンバーグを食べながら映画の内容について質問してみる。
ストリィーの込み入った部分である男同士の友情なんかも、結構理解しているのには驚いた。
先週の月曜日は、同じく運動会代休の中学1年生の孫とランチデートをした。
手足もすらっと長く、今時の女の子に成長した姿は眩しいくらい。
じーさんが誘ってもついて来てくれる最後の年代だろう。
そのうち「いやちょっと予定が入っててゴメン」なんて断られる日が来るんでしょうな。
小さい頃、酔って寝てしまいそうな自分を「じーたん、遊ぼ!」と揺り動かした声が、
つい昨日のことの様に聞こえてくる。
自分は祖父や祖母の記憶はほとんど無い。
母方の祖父である「岡田のじーさん」が可愛がってくれた話を母からよく聞かされた。
当時、旭川の土建業界で一二を争う田中組の帳場を務めていたという。
風邪を引いてぐずる自分を、仕事帰りの半纏を脱ぎ、裸の胸に抱き入れて「人肌で温める、こうするのが一番じゃ」と離さなかったそう。
目に入れても本当に痛く無いほど、メンコがってくれたようである。
自分の存在が、どのような記憶になって孫達の思い出の中に残るのか分からないが、
休みが重なるのは滅多にない。
せいぜい楽しい時間を共有して、無償の愛情をこれでもかと注いでくれた、
「岡田のじーさん」の足もとぐらいにはちょいと近づきたいと思う。




6月最初の日曜日は、滝上の芝桜も湧別のチューリップも見納めの頃合。
札幌、旭川方面の花観光のお客様で大忙しだった。
20分以上の待ち時間予想に諦めて帰られたお客様も多数。
せっかくいらしていただいたのに、本当に申し訳ございません。
商売の基本は一期一会。
だが、玄関口で会ったきりでは何のおもてなしもできない。
勝手な言い分だが、是非また来ていただいて蕎麦を食べて欲しい。
空席待ちのお客様が出始めると厨房は戦場の様になってくる。
特に今回の日曜日は海寄りの風が少し肌寒かったせいか、
ごぼう天、鶏天の注文が殺到し、稀に見る慌ただしさだった。
2時半を回った頃、4名様のグループが入店されたところで売り切れ仕舞いとした。
注文を取りに行ったTさんが「窓際の端っこの方が、旭川の神居小学校で大将と同期ですって!」
厨房からチラチラとお顔を拝見したが分からない。
取り敢えず蕎麦をお出しして、大半召し上がられた頃ご挨拶に伺う。
滝上から湧別に向かう途中、美味い蕎麦を検索したら当店にヒットしたという。
店主の名前を見ると憶えがあるので声をかけたそう。
「神居十字街を伊ノ沢に向かって少し行ったところの青木です!」
記憶の海に濃く立ち込める霧を払うように、思い出す限りの友の名前を絞り出す。
だが目の前の青木さんはそのままで、60年前の青木クンにはなってくれない。
10分近くいろんな話をしているうちに、特徴のある目元や口元が時空を遡りおぼろげながら像を結ぶ。
青木雄飛君。
一度聞いたら忘れられない名前と睫毛の濃いひょろっと細身の少年が浮かび上がった。
よく訪ねて来て下さいました。感謝!
聞けば同期の連中と度々会って飲むこともあるらしい。
店の名刺をごっそり渡し、みんなに配ってくれるようお願いする。
終戦後の食糧難を乗り越えて60代を終わろうとしている。
一度是非会っておこうと思う。





ようやく咳が止まったと思ったら、痰が絡み出した。
切ろうとしてもなかなか切れない。
死んだ母親も最後の病床で痰と格闘していたのを思い出した。
「もう少し力を入れてエヘンとやってみ〜」なんて思いやりのかけらも無い言葉をかけていた。
痰が絡んで切れないというのは老いの世界の一里塚。
普段は若い気でいるが、風邪なんぞを引くと一気に己が年齢を突きつけられる。
気温が上がらない日が続いているが、市内の小中学校は遠足の時期。
店の前の道は、大山山頂や紋別公園に繋がっているので遠足の通り道。
二人の孫たちも通るので手でも振ってやろうと気をつけているのだが、
仕込みに追われているうちに、賑やかな声が聞こえたなと思って外に出ると毎回通り過ぎた後。
60年前の神居小学校の一年生の遠足。
時効だからもう良いと思うので書いてしまうのだが、
担任の先生の名前は菅井先生。
初老の小太りで優しい先生だった。
どこでどう知り合ったのか解らないが、
父親が懇意にしていたらしい。
遠足の朝、水筒を二つ持たされた。
小さい方は先生に渡しなさいと言われた。
なぜかなと思って蓋を開けると酒の匂いがする。
今の常識では考えられないことだが、当時は型破りの先生が結構居て、
そんなのもありだったのかもしれない。
ニコニコしながら受け取った髭の濃い丸顔を憶えている。
普段なかなか口にすることができなく、
遠足や運動会につきものの食べ物と言えば、茹で卵と乾燥バナナだった。
ろくに手を洗わないから剥き終わった卵は黒く汚れていたが、
少し大人になったような格別の味がした。
生のバナナはとんでもない贅沢品で、バナナといえば妙な匂いのする乾燥バナナが主流。
困ったようなあの匂いは好きになれなかった。
ところで今の運動会は寿司やオードブルの出前を取る家庭が多くなっているらしい。
経済的だからということも理由だそうだが、なんだかなぁ〜。
前の晩からお煮しめを作っていた母親の丸い背中を思い出す。
唐揚げなんぞは無かったから、おかずの主役はお煮しめだった。
こっくりと味のしみた小揚げが好きで、人参や牛蒡を除けていたら怒られた。
さて来週の日曜日は中1の孫の運動会。
毎年恒例の応援唐揚げを作らねばならない。
夜中の2時には起き出し、蕎麦を打ってから取り掛かる。
「じーたんの唐揚げ、美味しかったね!」
あまり遊んでやれなかった分、そんな記憶が残ってくれればなんも大変では無い。

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