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よれよれになりながら今年も終わろうとしている。
だが例年と比べ年越し蕎麦は楽をさせてもらった。
いつもであれば30日は営業日。
3時か4時かの早仕舞で蕎麦を打ち始めても朝までかかる。
老体を労わってくれたのか、2013年の30日は定休日である。
午前中は当日お引き渡しの蕎麦をこしらえ、
昼からは計量その他で費やして夕方からまた打ち始める。
本年の年越し蕎麦のご予約は200人前。
12月中旬に、ご自宅に大型の冷凍庫を備える常連の『I』Iさんに60食をお納めしていたので、
残りは140人前。
打とうと思えば3キロ玉を打つことができるが、丁寧な仕事を考えると1.7キロ玉がベスト。
約7個の蕎麦玉になる。
年越し蕎麦を打つ時間は楽しい。
一玉一玉、集中して打つごとに上手くなる自分が感じられる。
お客様からお代を頂き商売をしていながら、蕎麦打ちを勉強している様な状態は申し訳ないが、
そんな時間は滅多にあることではない。
一玉打ち終えるごとに課題が出てくる。
腫れ上がった指をなだめすかしながら、なんとか注文の蕎麦を打ち上げる.
どうかこの店の蕎麦を召し上がった皆様が、幸せな1年を過ごすことができるように祈りを込めて。
また新たな365日、日々精進していくつもりですのでよろしくお願いいたします。
日本人の感性は、大晦日を境にし、都合の悪いことも含めて過去のこととして流してしまいがち。
忘れていけないことは山ほどある。
まず第一は福島原発の問題。
廃炉の方策もたたず、汚染水を毎日垂れ流し続けている。
なのにこの国のトップは仕事納めに身内でゴルフ。
翌日には株式市場の大納会でしてやったりと納めの鐘を鳴らす。
そんなことをやっている場合ではねぇだろ。
自分のこととして怒っているのではない。
今生きている大人がきちんと責任を取らない社会が、
将来の子供たちにどんな影響を及ぼすのか、真剣に考えなければならない正念場である。
国家の無策で苦しんでいる人達が大勢居る。
故郷を失ってしまった福島の人たち。
故郷を失い続けている沖縄の人たち。
せめてそんな人たちに同調して1年を終わりたいと思う。

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江戸前蕎麦の基本は細打ち。
ご定法は切りべら23本といって、1寸の幅の麺帯を1,3ミリに切り揃えると丁度23本になる。
なぜ太さにこだわるかというと、茹で上がりの状態を同じくするため。
つなぎの小麦粉の量が二八という二割か、つなぎ無しの十割の間では特に重要である。
蕎麦粉は火の通り方が早い。
十割蕎麦はものの30秒ぐらいで茹で上がってしまう。
二割のつなぎの蕎麦でも一分はかからぬ。
太さの違う蕎麦をいっしょに茹でるということは、生煮えのところと茹で過ぎのところが混在することとなる。
粉っぽかったり、ふにゃふにゃの蕎麦ではお代は頂けぬ。
救荒食物といって、米の不作に備え蕎麦が栽培された時代があった。
農家の嫁の嫁入り道具の一つに蕎麦打ちの技も含まれていたそう。
台所の板の間にちょこんと座ったばぁ~ちゃんが、菜切り包丁で切る不揃いの蕎麦はそれはそれで旨かったりする。
時代は変わり、そんな乱切り蕎麦がもてはやされる世の中になったようである。
もともとは日高の食堂であった『S』という蕎麦屋。
乱切りの田舎蕎麦で評判を呼び、札幌に進出し支店を構えるほどになった。
たまたま観た夕方のテレビ番組で取材を受けていた。
蕎麦粉は黒松内産の奈川在来という貴重な品種を使っているらしい。
モグモグと噛まなきゃいけない感触が受けているんでしょうかね。
江戸前蕎麦の老舗には爪楊枝を置かない店がある。
蕎麦てぇ~もんは喉越しを味わうもんで噛むもんじゃねぇ、というのがその理由。
だが、喉に手繰り込んでも全く噛まずにいると詰まってしまう。
目を白黒させながら蕎麦を食らう江戸の町民たちの姿が目に浮かぶ。
『粋』とは『痩せ我慢』の昇華形。
『痩せ我慢』てそれ何?という年代が増えているご時世、
やがて『粋』という言葉も死語になっていくんでしょうな。
乱切りの蕎麦や、それを好む人達を卑下するわけではない。
鮨屋のシャリがめっこ飯であってはならぬように、
蕎麦もまた美味しく食べていただくために、麺線を揃えることは最低条件の一つである。
江戸打ちの技法は様式美を伴う。
『粋』に食べてもらうには『粋』に打たなくてはならないのだ。


子供の頃、魚が得手ではなかった。
だが、鰊漬の中に入った身欠き鰊の切れ端は別物。
少し渋いあの味が好きで、そればかり選り分け食べて母親に怒られた記憶がある。
大きめに切られた大根も旨い。
しんなりと芯まで軟らかく漬かったキャベツも美味しい。
麹の白と色見のいい人参の千切りも甘い。
まさに漬物の中の横綱である。
雪混じりの木枯らしが吹き始める頃、
隣近所の母達は帆前掛けを締め、手押しポンプの有る井戸端に集まり漬物を作る。
何時もと違う光景に子供たちははしゃぎ走り回り叱られる。
そんな遠い昔の記憶を呼び戻してくれるのもこの鰊漬。
自分でもと3年前から挑戦しているが、今年初めて人様にお勧めできるモノが出来た。
自家製の塩麹を使ったのが良かったよう。
酸味がつく前に食べてしまおうと、お客さんにお出しすることなく自分たちのお腹に収まってしまった。
当店のパートさんは三人とも主婦である。
だが漬物は誰も漬けないという。
食べたくなったらコンビニで買うんだそう。
同じようにお茶もコンビニで買い求める商品の代表らしい。
『もったいねぇだろ!100円分のお茶っぱがあれば何本できると思う?』
などと言ってみても、手っ取り早い便利さに全身侵された連中には通じる筈もない。
学校から帰ってきて玄関の引き戸を開けると、
近所のおばさん達のにぎやかな話し声と漬物の匂いが漂ってくる。
それぞれ自慢の漬物を持ち寄る『お茶のみ』と称する集まりである。
毎日の暮らしに追われる中、母達のほんのささやかな楽しみだったのであろう。
コンビニのペットボトルと漬物パックでは絵になりません。
大体が今時の主婦の皆さんの集まりは『ランチ』。
夫に500円の弁当代を渡し、自分は1000円を超えるイタリアンの『ランチセットA』。
『これは別腹よねぇ~』と食後のデザートも頼み、3時ごろまでお喋りに花を咲かす。
当店は決してそんなお客様を敬遠している訳ではない。
むしろ混雑する時分どきを過ぎた時間帯には大歓迎である。
だが蕎麦屋というものは、『神田まつや』のように相席そのものが当たり前、
運ばれてきた蕎麦は三分で手繰り、入ってから十五分で店を出る。
なんていう使い方がやはり粋だと思うのです、自分は。





アベノミクスなんぞ、まったく関係ない日本の端っこのこの街は、
暖房のために灯油を買わなければならない時期が来ると、毎年客足が落ち込む。
11月はここ3年間で最低レベルの入り。
一桁の日が二日も続くとさすがに元気も無くなってくる。
商売やっていればこんな日もあるさと、パートさん達に明るく言って、
忙しい時には出来ないそこいら辺の大掃除をやるのだが、
それもその内やり尽くす。
すまないなと思いながら、定時前の早上がりで帰ってもらうこともしばしばだった。
灯油、ガソリンは高値安定。
おまけに来年の消費税増税を控え、節約の槍玉のトップは外食であることは仕方のないこと。
安さでお客を呼び込む土俵にはハナから立つ気は無い。
真っ当な食材を使い、化学調味料や添加物とは無縁の食べ物をご提供出来る最低限の値段でやってきた。
そうかと言って何も策を弄せずに手をこまねいている訳にもいかない。
12月になって少しお客さまも戻ってきた。
ここが勝負の時と、江戸時代からの伝統の蕎麦で挑戦することにした。
それは『花巻蕎麦』。
温蕎麦の上に最高級の海苔を揉んで散らす。
すぐさま蓋をしてお客様のもとへ。
蓋を開けると海苔の何とも言えない良い香りが立ち込める。
この香りを消さぬよう、薬味は葱も七味も使わない。
ワサビを少々汁に溶き召し上がって頂く。
冷たい蕎麦の海苔かけは、香りがそれぞれ主張し過ぎるという理由で品書きから外してた。
ところが温められた蕎麦と、その上に乗った海苔の香りは喧嘩をしないのです。
浅草海苔が今の東京湾で豊富に採れた江戸の時代。
どの様な組み合わせが美味い蕎麦につながるのかを、
昔の人たちは知っていたのでしょうな。
昨日の日曜日、丁度30名様のご来店。
『本日のおすすめ』のブラックボードに記載しただけで、『花巻蕎麦』7食のご注文をいただいた。
なお花巻という呼称は岩手の花巻とは関係がありません。
海苔のことを磯の華と言っていたことに由来するそう。
磯の華をまき散らす様子から花巻蕎麦と呼ばれるようになったらしい。
これを機会に昔からの味を再現してみたいなんて思っている。
田毎の月を表した月見蕎麦も良い。
四半分に切った海苔を敷き、その上に卵を割り入れる。
熱々の汁を掛けすぐさま蓋をする。
海苔は田んぼ、白身は黄身の月にかかるおぼろ雲。
何とも粋な蕎麦である。
鼻水のようなそこらの月見蕎麦とはまったく違うのである。
刃の長さ33センチ、重量約1キロ。
持ち歩けば銃刀法違反で間違いなく捕まる刃物である。
畳まれた麺帯の上に駒板を載せて切っていく訳だが、
当店の蕎麦の幅は1,2mから1,3m。
寒い季節は温蕎麦が多く出るので汁に負けぬよう少し太くなる。
0,1mの差は包丁仕事ではなく延しの厚さで決まる。
駒板に包丁を当てて、最初の1,2本は幅を見るがその後は見ない。
同じ力で駒板を抑え、同じ調子で包丁を落としていけば同じ太さの蕎麦になる。
2Kで延し上げた麺帯は8枚に畳んで60cm位の長さ。
今の自分は、これを切るのに5分かかる。
きちんと修業を重ねた職人は3分で切ってしまうだろう。
包丁仕事の良し悪しは駒鳴りの音で分かってしまう。
駒板に沿って包丁を落とすことを繰り返すと、スカコン、スカコンという音がする。
何十年と蕎麦を打ち続けてきた本職の駒鳴りはコン、コンと良い音。
スカという音の有る無しは、修業という苦労の隙間の差である。
難しそうに見える包丁仕事だが、三ヶ月もやればある程度はできる。
延し3年、木鉢10年と例えられるように、
蕎麦打ちで最も難しいのは、一番地味な水回しという木鉢での仕事。
蕎麦粉一粒一粒に水を含ませるために攪拌する作業である。
中高年の男性の間では蕎麦打ちが趣味としての人気が高い。
その動機は様々だが、華々しく見える包丁仕事に憧れて始めるご仁が多いと聞く。
蕎麦包丁は刃先の鋼によって値段がピンキリ。
青二鋼乱れ打ちの包丁なんぞは、ん十万もする。
道具から入る金持ちの素人さん向けの包丁でしょうな。
自分が今使っているのは、白二鋼の曲り柄で5万少々の代物。
弘法筆を選ばずで、そんなんで充分なのである。
毎朝蕎麦を切り終えると濡れ布巾で丁寧に汚れを落とす。
その後乾いた布巾で水気を取り木鞘に収めるのだが、
そんな作業をしながら結構包丁に話しかけたりしている。
蕎麦粉のカスが多くこびりついた日は、
すまんすまん、少し水回しの水が多かったね、切りにくかったしょ。
名刀は魂を宿すと言うが、蕎麦包丁もまた然りなのかもしれません。




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