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一週間ほど前から近所の浄水場で何やら工事が始まっていた。
水曜日の朝、厨房に降りてみると、なんと店の裏口の目と鼻の先の市有地に廃材などのゴミの山が出来ているではないか。
店の裏からは大山が見える。
今の時期は葉を落とした樹々の黄色と焦茶が雪の白と混ざり合い、
さながら一枚の絵のような風景を楽しむことができた。
そんな眺めの前景にゴミの山である。
ソッコーで市役所の環境生活課に電話する。
「市の施設の工事がこんな産廃の違法投棄の見本のようなゴミの山を作っていいんかい!」
「食べ物屋の鼻っ先に置かれちゃ営業妨害じゃ!」
「すぐに何とかしてくれい!」
30分ほどして係りの者から返事があった。
「あのゴミは仮置き場として置かせてもらったもので、20日ごろに撤去します」と。
「仮置きにしても置き方があるでしょ」
多分息子達と同年代の職員に、子供に諭すような口調になる。
見苦しくないようすぐに手を打つとの返答を得て電話を切った。
夕方重機がやって来てゴミはきちんと片付けられたが、
文句を言わなければあの山はそのままだったと思う。
年のせいなのか、曲がったことや間違ったことにものを申さずにはいられなくなった。
特にお上のやることに対しては我慢ができない。
市役所の職員の方達も大勢蕎麦を食べに来てくれているので、
あまりカッカとするのはどうかと思うが、
おかしいことはおかしいのである。
さて、衆議院の選挙が終わった。
結果は予想通り。
それにしてもこの投票率の低さは一体なんだろう。
突然解散総選挙に打って出た背景にはこの数字の読みがあったと言われているが、
もしそうだとしたら何と姑息な政権だろう。
国民の半数が政治に背を向けた状態の中では圧勝などとは言い難い。
今回選挙に行かなかった人達。
特に若者達に心してもらいたい。
遅く起きた日曜日をダラダラと過ごし、
あっ、そういえば今日は選挙か。
でも自分が投票してもしなくても政治なんて変わらないし、
かったるいから行かない。
そんな君達の行動が再び戦争をする国家へ変貌する力になっているのだ。
自分の子や孫、もしかしたら自分自身も戦争に巻き込まれるかもしれない。
重要な判断をしたのだと肝に命じて欲しい。
「アベノミクス」の裏には「憲法改正」が隠れていたのが、
選挙後の阿部さんの記者会見ではっきりした。
国民の総意を得て憲法の改正を目指すと明確に言っているではないか。
このたびの選挙の結果が、この国を誤った方向に大きく舵を切る原動力になったと後々言われないことを祈る。
さてさて、今月から始めた蕎麦の地方発送だが、
出足は「イマイチ」ある。
織り込み済みの反応であるがちょいと淋しい。
「だて様」。
職場のお昼にど〜ですか?
ご注文お待ちしています。





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先週の木曜日からお出ししている鶏ごぼう蕎麦。
土曜日までの三日間、ぼちぼちの注文だった。
多分日曜日に爆発するような予感がして多めの仕込みをした。
予想的中の大当たり。
42名様のご来店、そのうち8食が鶏ごぼう。
帰ってきた丼を確認すると、ごぼうも鶏のつくねも残ってはいない。
他の汁物の蕎麦に比べるとつゆの残り具合も少ない。
このまま冬の間の花形看板になってくれたら良いと思う。
何より天ぷら系の注文が減り負担が少なくなるのが嬉しい。
さて、この間ラジオを聴いていると映画と共にヒットした「ありのままに」が流れてきた。
叫んでいる様なひどい歌声。
お笑い芸人がモノマネかなんかでふざけて歌っているのかと思ったら違っていた。
あの「松たか子」が歌っていた。
歌はありのままの地声で叫べば良いものではないだろう。
もう一つ最近のラジオから流れてくるものでちょいと気になる歌。
網走出身の「はしりなんとか」が尾崎豊の「アイラブユー」を歌っている。
下積みが長かったそうで完璧にコピーし上手に歌う。
別に「尾崎」のフアンではないが、この曲は「尾崎」だけの唄。
「北の国から」の中で使われていた。
聞く度にドラマの名場面が脳裏に浮かんでくるのである。
他の歌手の歌声ではダメなんですな。
「テネシーワルツ」も画面が浮かび上がる。
昔「江利ちえみ」が歌って大ヒットした。
「高倉健」の映画「鉄道員 ぽっぽや」のテーマ曲。
雪の降りしきる駅のホームに口を真一文字に結んだ駅長「高倉健」が立っている。
もうその絵面を見ただけで涙が滲んでくるのだが、
バックに「テネシーワルツ」が流れる。
これには参りました。
そのうちお別れの会みたいなものが催されると思うが、
会場でこの曲が流されればいいなんて密かに思う。
自分が死んだら葬式なんかやるなと伝えてある。
使える臓器は全部臓器移植に回してもらい残った体は献体する。
儀式不要と言っても何人かは集まってくれるだろうから、
写真と花でも飾って通夜みたいなもんはやらなくちゃしょうがない。
音でも無ければ場が持てないのなら流して欲しい曲がある。
「ちあきなおみ」が唄う「あかとんぼ」。
一人で飲む時に「YouTube」で時々聞いている。
こんなしみじみとしたいい歌がなぜヒットしなかったか不思議に思っていた。
この年になって理由が分かった。
いろいろな人生の場面を積み重ねて来たものでなければ、
心に響かない唄なのである。
ジャンルを問わず大人が聞くことができる唄が本当に少なくなった。
歌は人生の名場面に寄り添って初めて「唄」になるのだと思う。



肉関係の値上がりがすざましい。
牛丼に使っている米国産の牛バラ肉なんかは4割も上がった。
国産の豚肉も鶏肉も引っ張られたように値上がりしている。
円安を容認している「アベノミクス」の成果である。
輸出によって利益を得る大企業が立ち直れば中小の企業もその恩恵を受けることができる、
そんな政府の方向性の是非を問うのが今回の選挙だという。
どのぐらい我慢すれば下々の生活が良くなるのかさっぱり分からない。
「富国強兵」の名目の元に第一次世界大戦へと突っ走った明治の時代と重なって仕方がない。
小泉政権下での郵政民営化選挙の再現を妄想しているのだろうが、
「アベノミクス」の本質は景気回復だけではなく、
もっと別のところにあるために、単純明快な小泉の選挙と比べ非常に分かりにくい。
演説が心に響かないのも、滑舌の悪さのせいだけではなく、
こいつの本音は言っていることと違うぞと思ってしまうためだろう。
それにしてもあの舌の回らなさは政治家としての決定的な欠陥ですな。
10月8日から北海道最低賃金が上がり、パートさんの給料も750円になった。
上げられるような要素はな〜んにも無い。
毎年毎年最低賃金に尻をぼったくられるような状態は情けないが、
道内の中小の企業はみんな同じだと思う。
暖房費が嵩む季節を前にして、ため息ばかりついていてもしょうがないので、
蕎麦の地方発送をやることにした。
どの位注文があるか全く予測がつかないが、
毎朝打ち上げる蕎麦の量を少し増やせば何とかこなせるのではないかと思う。
梱包資材の注文から始まり、何から何まで今回もKAWA様の世話になった。
感謝!!
新しいことがもう一つ。
今週から「鶏ごぼう蕎麦」というものをお出しする。
鶏胸肉のつくねとごぼうの笹がきが入った温かい蕎麦である。
昨日試食して見たのだが、とんでもなく美味い。
ごぼうの濃厚な香りが鶏胸のつくねの上品な旨味を引き立てる。
考えついた当初はあっさりし過ぎるかなと思っていたのだが、
そんなことはない。
ごぼうの出汁、鶏の出汁が蕎麦に絡まり舌が踊る。
値段は980円なり。
辛味大根せいろ、花巻蕎麦に続くヒットになりそうな予感がする。

蕎麦屋だから当たり前だが、賄いは毎日蕎麦である。
お客さんの合間を縫って、または売り切れ仕舞いの閉店後、
立ったまんま蕎麦を啜る。
新しい品書きが出る時はそれを食べてみるが、
それ以外はせいろが基本。
辛味大根のおろしを汁に添える。
もっと栄養のあるものを作らなければと思うが、
食べる時間が3時近くなので、あまり重たいものだと夕食の支度をする気がなくなる、
と主婦でもある今のパートさん2名の言葉に甘えている。
でもこれが飽きないのですな〜。
辛味大根を汁に入れると蕎麦の甘味が途端に際立つ。
食物本来が持つ甘味、つまり旨味を引き出すことは料理の基本。
そんなことを辛味大根は教えてくれる。
馬鹿タレントが旅番組なんぞで新鮮な刺身を食べて「甘〜い!」と言うのは、
表現力の無さゆえの味覚の本質を伝えてくれている。
健康のためにも砂糖や味醂を使わぬ甘味を引き出すのが肝要。
でも何か一味足りない時に力を発揮するのが、
砂糖のひとつまみや、小匙一杯の味醂だったりする。
人の生き方にも通じるようで面白い。
どこをとっても欠点の無い真面目を絵に描いたような人間は魅力を覚えない。
あの高倉健も銀幕の上での寡黙さとは違い、
少しお喋りでお茶目な部分もあったそうである。
そんな隠し味が、誰からも好かれこんなにも惜しまれる存在になったのだろう。
学生時代、小田急線やJR横浜線をよく利用していた。
駅構内には立食い蕎麦屋の屋台があった。
かけ蕎麦で200円か300円の値段だったと思うが、
電車賃にも事欠き、一駅前で降りて歩いて帰る身分には手が出ない。
出汁と醤油の混ざった匂いは、いつも空腹だった自分には強烈な誘惑だった。
銭湯から出た隣の蕎麦屋の匂いもまたそうだった。
息を止めて走って通り抜けた気持が忘れられない。
若い時の苦労は買ってでもせよと言われる。
自分が経験したことなど、苦労の足元にも及ばない事柄だろう。
だが今の「にの字」の隠し味になっているのではないかと思う。






蕎麦打ちって力仕事で大変ですねとよく言われる。
だがそんなに腕力が幅を利かす世界では無い。
少し力が要るのは捏ねの過程ぐらい。
延しや切りの仕事の段階では余分な力はかえって邪魔。
重々分かっていながら腕先の力だけでやっつけてしまうことが度々である。
そんな未熟な作業の結末は厚みの整わぬ延しと、
切り幅が微妙に違う包丁仕事に繋がってしまう。
延し棒や包丁を介して蕎麦と話をする。
そのような蕎麦との接し方が一番大事なんだなとつくづく思う。
気温や湿度が変わろうと毎日同じ蕎麦を打ち続ける、
職人仕事とはそういうものである。
例えば包丁。
スカコン、スカコンという包丁と駒板が奏でる心地の良い音。
腕や肩に余分な力が入っているとあの音は聞こえない。
修行経験のない独学蕎麦屋は、職人と呼ばれることに憧れを抱く。
独学とは毎日が間違い探しのようでもある。
このやり方で本当にいいのか自信が持てない。
試行錯誤。
まさに一歩進んで五歩下がる毎日である。
力の抜き方なんぞは、どの本を読んでも書いてなんかはいない。
そば職人への道は遥かに遠い。
今月号の「dancyu」。
見事な職人の記事が載っていた。
神奈川は湘南、藤沢の尾島肉店の店主である。
かの開高健が絶賛した希代のハム職人。
彼の言葉が職人の王道をど真ん中に通しているようで胸がすく。
「職人がこだわりなんて言っちゃいけねえ」
「じゃあ手前えにとっての当たり前はどおゆう事よ?と聞かれてしまうぜ」
「芸術品を作っているんじゃねえ。当たり前の仕事を手抜きをしないでやっているだけ」
なんでもかんでも「こだわりの何々」と表現したがる世間の風潮に杭を打つ。
新聞や雑誌の取材を受ける度に「この店のこだわりは何ですか?」と聞かれる。
「こだわりは特に無いです。普通の蕎麦を普通に打っているだけです」
素っ気なく答えるとがっかりしたような顔をする。
「こだわり」とは当たり前の仕事を当たり前以上にこなせるようになった職人に許される言葉。
力の抜き方に迷っている6年目の蕎麦屋が使える言葉ではない。
肉店には開高健の色紙が飾ってあるそう。
「朝露の一滴にも天と地が写っている」
その意味を聞かれた店主は「サボんなよ!ということだろ!」と答える。
見事。
大好きだった映画俳優「高倉健」が死んだ。
いつも彼の背中を追い続けていたような気がする。
テレビをつけるとあの板東英二が口の端に泡を溜めて思い出を喋っている。
本当に健さんはこんな奴と好きで付き合っていたのだろうかと思う。
滅多にそんなことはしないのに、1週間ほど前BSで、彼が主演の「動乱」を観たばっかり。
あの2・26事件の青年将校の役だった。
銃殺刑に処せられる時の無念の表情が健さんの最後と重なる。
生き切った笑顔だったそう。
散り際は男の美学の最終章。
とことん高倉健を演じ切った。
これもまた見事。
この国にとってかけがえのないものを失った。




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