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赤信号で止まっていると後ろに仮免許の自動車学校の車。
バックミラーで覗いて見ると、助手席の教官が何やら話しかけ大笑いしている。
自分が免許を取った時代はどんな状況でも笑う余裕など無かった。
遅れたブレーキ操作には容赦無く足蹴りを入れる教官もいた。
都会では若者の免許離れが顕著だそう。
厳しく教えるのを控えるような風潮があるのかもしれない。
一月ほど前、士別か剣淵かあの辺りでこんな事故があった。
停まったバスの前方から走り出た児童を跳ねて死亡させたというもの。
確か運転手は若い女性だった。
まさかバスの脇から子供が飛び出すとは思わなかったが事故後の言い分。
40年前の自動車学校の教え。
停車しているバスからは人が必ず飛び出すものだと思え。
だからバスの下を見て人の足が見えるかどうか確認しなさいよと言われた。
仮免許の生徒とバカ笑いする暇があったら、もっといろいろ教えることがあるだろう。
さてさて、はっきりしない天気が続いている。
朝晩には10度を下回るので暖房を少しだけ入れなければならない。
そんな空模様のせいなのか、先日の日曜日は久々の不入りだった。
海からの風が霧を伴い、あっという間に街並みを包んでしまう。
やがて霧は粒が大きくなって、しとしと降り続く雨になる。
そんな状況では蕎麦を食べに出かけようなんて気分にはなりっこない。
2時半を回った頃 お客さんの気配が消えてしまった。
7年も商売をやっていると、こういう気配を感じることができるようになる。
元来諦めは良い方である。
これはゆっくり体を休めなさいとの神様のサインだとばかりに、
さっさと暖簾を降ろし、売り切れ仕舞いの札を出す。
本日の日曜日16名様のご来店にとどまる。
約60人前の蕎麦を打っていたので40人前の大量の蕎麦が残る。
翌日の定休日、これをせっせと揚げ蕎麦にする。
当店の隠れた人気商品、一袋110g入りの「にの字特製揚げ蕎麦」の元である。
一回に二人前ぐらいの蕎麦を油に放ち強めに揚げる。
揚がった蕎麦は蕎麦粉が入ってくる紙袋に入れて、
上から沖縄の天然塩をまぶし袋を持ち上げ上下に揺すり塩を均していく。
これからのビールの季節にお誂えの一品の完成。
一袋150円では安すぎるんじゃないのとの声もある。
だが原料は余った蕎麦。
揚げる手間とか袋詰めにする手間とかは、
お客様に返す感謝の気持ちとして経費には入れていない。
都会の蕎麦屋と違い、蕎麦前のあまり出ない地方の蕎麦屋は客単価の引き上げに頭を悩ます。
揚げ蕎麦一袋の売り上げはそんな悩みも少し解消してくれる。
あっという間に7月。
今年ももう半分が過ぎてしまった。
やれやれ。




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ご常連のHさん御夫婦。
いつも時分どきの混雑が落ち着いた時に来店される。
その時間には大概手の空いている店主と世間話をするのが常だった。
去年の雪が積もり始めた頃、奥さんが体調不良で入院したとの知らせ。
病名は肺ガン。
手術は行わずに抗ガン剤での治療を受けていた。
春先に市内のスーパーでご主人に会い様子を伺うと、
食欲もありだいぶ元気になったとのこと。
それじゃあもっと元気になってもらおうと病室に蕎麦を出前する。
喜んできれいに食べたとの話を聞き回復を祈っていた。
4月の末のこと。
すっかり痩せてご主人につかまらなければ歩けない状態で来店される。
びっくりしてどうしたのと尋ねると退院したという。
それでも注文の辛味大根おろし蕎麦をゆっくりゆっくり残さずに食べられた。
お帰りの際、体力つけて元気になってねと声をかけると、
何も言わずにうつむいたまま出て行かれた。
その後間もなくして余命1月の連絡をいただく。
そして6月18日、半年間のガンとの闘いを終えられた。
あの時の淋しそうな横顔が思いだされなんとも切ない。
ご冥福を祈る。
さて、先日の日曜日は札幌のWさんという方から予約が入っていた。
2時ごろ10名で行きたいと2週間ほど前電話があった。
日曜日の2時といえば混雑が続いている時間帯だ。
有難いがどう対処したらいいか少し迷っていると、
ここの蕎麦を食べるためだけに紋別に行くんですとおっしゃる。
そこまで言われたら何とかしないわけにはいかない。
2時から貸切にして予約を受け付けたのだ。
天気が良かったせいか開店直後から混み合う。
1時ごろには30名様を越えていた。
そろそろ貸切の張り紙を出し準備しなければと思っていると、
何やら外が賑やかである。
見てみると数名の若者がキャッチボールをしている。
札幌を10時に出ると言っていたのでまさかこんなに早くと思ったが、
やはりWさん御一行。
車がいっぱいだったので時間つぶしをしていたらしい。
やがて全部の席が空いたので入店していただく。
1名増えて11名様。
天ぷらなどの種物の注文が入ると大変だなと考えていると、
なんと辛味大根せいろを11人前。
蕎麦の残りは15,6人前はある。
大きな笊を三つ使い全部茹でてお出しした。
皆さん20台前半の若者である。
足りるかどうか心配だったがどうやら大丈夫だった様。
美味しかった!の声を残し、風のように札幌に戻って行った。
総数46名様のご来店。
ボロボロに疲れる。






6月7日の土曜日は店主の孫娘と、パートのYちゃんの長男が通う中学校の運動会。
ところが前日から雨が降ったり止んだりの生憎の天気。
おまけに冬のダウンを引っ張り出したくなるような気温の低さ。
こりゃあ絶対延期だねと言うと、連絡網などを通じての知らせはないのだそう。
当日の朝6時の花火が唯一のサイン。
これって弁当を作る親たちのことを全く考えていないおかしな学校のやり方。
応援に行けないじい〜さんは、
精一杯の気持ちを込めた唐揚げを作るのが幼稚園時代からの慣わし。
金曜の夜から鶏肉を下味に漬け込み準備する。
土曜日は何時もより2時間早い午前1時半に起きて蕎麦打ちを済ませ、
唐揚げを揚げようとする寸前に中止とのメールがきた。
翌日の日曜日に順延するというので、
下味の汁を切り冷蔵庫に入れる。
パートのYちゃんは唐揚げも玉子焼きも作ってしまったと嘆きの電話。
学校側はもっと早めに決められないのですかね〜。
結局二日連続の1時半起き。
おまけに日曜の夜7時から4名様の「にの字御膳」の予約が入っていたので、
後片付けを済ませたら9時になってしまった。
さすがに疲れましたな〜。
この時期のオホーツク海側は例年低温が続く。
7月にずらすなどの融通を効かせることができないものか。
日曜の「にの字御膳」は常連のFさん。
2回目のご利用なのでお通しの9点盛りをちょいと変えてみる。
先づは鶏胸肉の自家製ハム。
粗塩、砂糖、ローズマリーなどのスパイスをまぶし、
オリーブオイルを満遍なく塗り込んで二日ほど冷蔵庫に寝かせたものを、
ラップで巻き85度ほどのお湯で15分茹でて完成。
鶏肉はしっとりと柔らかく香味豊か。
次はカレー用の牛すじ肉をかけ汁で少し煮込み、
大根おろしに梅肉を混ぜたものでこれを和えてみた。
さっぱりとして酒が進む。
もう一つの新顔はホタテのオリーブオイル漬け。
生ホタテの水気を切って容器にいれ、隠れる位オイルを注いで2日間冷蔵庫。
仕上げは山わさびの醤油まぶしをホタテの上に載せる。
これは美味いですな。
ホタテはねっとりと滋味を増し、山わさびがピリッと引き締める。
あとは定番のオクラの白和え、茗荷の甘酢漬け、切干しと鶏皮の胡麻酢、
ツブ煮付け、人参のナムル、サーモンの塩麹まぶしなどを大皿に色よく盛り込む。
メインの「鴨のしゃぶしゃぶ」と「せいろ」「デザート」が付いて、
お一人様3000円は安過ぎるだろと言われる。
だが手持ちの材料で出来るだけ作るようにしているので原価はそれ程でもないのである。









近頃都会のラーメン屋での奇妙な風景。
壁に向かってカウンター席が作られている。
目の前の眺めはオヤジさんが忙しく鍋を振る厨房でもなく、
行き交う人や車をボーッと見つめることのできる窓でもないただの壁。
おまけに一人一人の席の境目に衝立状の板がはめられている。
これって鶏や豚の給餌場に見えるのは自分だけか。
他人との関わりを嫌う一人客の要望に答えてのことだと思うが、
何とも寂寞としたものを感じてしまう。
当店の席と席との間隔は約70センチ。
結構狭い。
当然隣との席を遮る衝立も観葉植物も無い。
もっとゆったりとした空間ができるといいのだがこれが限界である。
息苦しく感じている方も多いと思う。
ただ時々、少々蕎麦前が進んだ御老人が隣の若いカップルと、
何やら楽しげに話をするのを見たりすると、
この狭苦しさも満更じゃないと一人悦に入るのは店主の我儘か。
昔の食べ物屋には入れ込みの座敷があった。
入れ込みと言うのは広い所に奥からどんどん詰め込むから。
そこには見知らぬ隣同士共通の空間が生まれる。
他者に対する気遣いとか思いやりの心は、
小さい時からのそんな場での記憶の植え付けが、
意外と大事になっているのではないか。
4人連れの親子が席に着くなりそれぞれのスマホを取り出して、
蕎麦が運ばれてくる前も、食べている間も、食べ終わってからも、
無言でスマホをちょしているお客さんがいた。
何をか言わんやである。
亡くなった両親の生き方から様々なことを教わった。
何事にも慎重派のじーさんではなく、
やんちゃくさいばーさんの影響を多く受けているのかもかもしれない。
2週間ほど前に物置の整理をしていた時、
中から出ようと後ろ向きに下がったところ、
何かに引っかかり仰向けに引っくり返った。
咄嗟に右腕をついて体を支えたのだろう。
病院に行くほどではないが結構な痛みが2,3日後に来た。
右腕全体が引きつるような痛みが治まると、
二の腕が抜けるような痛だるさが10日ほど経っても消えない。
湿布薬を包帯のように貼りまくってようやく良くなった。
気を付けなアカンですな。







4月20日から旧北高跡地に広域紋別病院が開院した。
最新の機器や設備が整った素晴らしい病院だというが、
問題は医者の確保だろう。
何とかうまく運営して行って欲しい。
落石町がますます賑やかになってきた。
病院へ通院する人と買い物客を同様に考えるわけにはいかないが、
人が集まるという点では、大型の商業施設ができたみたいなものである。
朝の潮見町通りの交通量が相当増えたそう。
当店の前の市道も車の行き来が多くなった。
驚いたのは救急車が通るようになったこと。
街中から急患を広域病院へ搬送するにはこの道が一番の近道。
冬の間の除雪体制も向上するかもしれません。
平日の昼時がじわじわと混み始めてきた。
明らかに病院関係の人達だなと思われるお客様が目立つ。
ほぼ1キロほどの距離にあるこの店は、
いろんな意味で使い勝手の良い近さなのかもしれない。
休みの月曜日、元の広域病院があった緑町付近を通って驚いた。
全く車が走ってない。
街が変わった。
さて、すっかり雪も溶けて1年で一番良い季節になろうとしている。
ゴールデンウィークの営業の問い合わせが盛んに入る。
月曜火曜の定休日は休みます。
つまり5月4日、5日の祭日は営業しません。
以前に後で代休を取ることにして店を開けたことがあるのだが、
どうにも疲れてしまっていけない。
1週間の生活のサイクルが狂うと体がついていかない。
年を取るということはこういうことなのである。
頭ん中の融通が効かなくなるとともに、
体の融通も効かなくなるのだ。
地方から当店の蕎麦を楽しみに来ていただいた皆様には本当に申し訳ないが、
我儘を許して頂きたい。
先週の水曜日、温根湯「手打そば すずき」の鈴木さんが訪ねて来てくれた。
生憎蕎麦は売り切れ仕舞い。
多分お腹が空いていただろうに、1時間ほどいろいろな話に花が咲いた。
網走の「そば切り 温」の中村さん、そして鈴木さん、加わることの自分。
同業のこの三人、なんとなくウマが合うというか、開けっぴろげて何でも話ができる。
共通しているのは道産の蕎麦粉にこだわっているために儲けが無いということ。
「せいろ」一枚でどのぐらいお代を頂いたら自分への適正な給料が出るか鈴木さんに聞いた。
「1000円かな?」同感である。
そんな値段を付けれるわけが無く、たまに会ってのこぼし話しが続きそうである。










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