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粉が舞ったり、油が跳ねたりの蕎麦屋の仕事。
丈夫な前掛けは必需品です。
愛用しているのは昔ながらの木綿の帆前掛け。
しゅっと紐を締め込むと働く気持ちが沸いて来る。
元々は酒造りの蔵元の仕事着だそう。
そんな理由なのか昭和の時代、近所の酒屋の販促品は『千歳鶴』だの『高砂』だのと酒の名前が染められた帆前掛けだった。
漬物の時期になると母も帆前掛けをし、近所のおばさんたちと外で大根洗いなどをしていた。
何時もと違う賑やかな雰囲気に浮かれて走り回る子供達。
映画『三丁目の夕日』より十年以上さかのぼる昭和の風景。
何故そうなったのかは思い出せない。
多分転んで泣き出した自分を膝の上に抱き寄せたのだと思う。
普段からベタベタと子供を甘えさせる親ではなかった。
滅多に無い状況に深呼吸する自分。
その時の母の帆前掛けの匂いが記憶に残っている。
水っぽいような、生臭いような不思議な匂い。
ふと思い出して仕事が終わった自分の帆前掛けの匂いを嗅んでみた。
ただ油臭いだけ。
もしかしたらあれは母の羊水の匂いと重なっていたのかもしれません。

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昔は…
昔のお母さん、洗濯機も掃除機も電子レンジも無かった時代です。朝起きたら先ずはハタキとホウキで掃除、雑巾がけ、水汲み(外の共同井戸から)ご飯の用意も薪ストーブ。
今に比べたら家事の量はハンパじゃなかった…と思います。
その分、子ども達も手伝いは当たり前でした。

本当に働き者だったお母さん達、でも日中には編み物や、つくろい物をしながらお茶を飲んでオシャベリして楽しんでいました。
貧しくても、皆で助け合って生きていた時代です。
普段は割烹着、漬物などの大仕事の時は帆前掛けだったのでしょう。
学校の参観日、滅多に着ない着物を着た母が綺麗に見えて誇らしかった記憶があります。

便利になってお金さえあれば何でも手に入れられる時代にはなりましたが、親子の大切な時間は何物にも代え難いもの。一生の内のほんの短い時間です。大切にしていかなくちゃ…勿体無いと思います。
しじみのカアサン 2012/06/09(Sat)10:39:43 編集
運動会の弁当
何だったか憶えてますか?しじみのカアサン様。
稲荷と太巻きがメインで唐揚げなんかは無かったような気がします。
今日は孫達の運動会。
そんな事を考えながら2キロの唐揚げを揚げます。
二人ともリレーの選手、こっそり応援に行きます。
もちろん店は臨時休業。
お客様ごめんなさい。
にの字 2012/06/10(Sun)03:04:13 編集
先週も…
今日ですか?寒いのでしょうね。
我が家は先週でしたが、朝からジリが降り
曇り空のまま終わりました。
冬まかないでカイロ入れて行きましたが、
寒かったです(笑)
リレーの選手なんですね!それは応援しな
くっちゃ…今頃、頑張って走ってるかな?

昔の運動会のお弁当、覚えてますよ。
太巻き、お稲荷さんは、ごちそうでしたもの。
母が作ってくれた太巻きの椎茸や干瓢の味付け、美味しかった!あの味はなかなか出来ません。
しじみのカアサン 2012/06/10(Sun)11:36:41 編集
寒かった!
時々陽射しのさす天気でしたが、
海からの風が凍えるように寒かった。
二人とも大活躍でしたよ、しじみのカアサン様。
にの字 2012/06/11(Mon)01:38:30 編集
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