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毎日使っている蕎麦庖丁が切れなくなっていた。
力を入れると何とか切れるせいか、肩や腕が妙にこる。
蕎麦打ちの職人は、カン、カン、カンと良い音で蕎麦を切る。
これは駒鳴りと言って、駒板に包丁が当たる音。
自分の切りの仕事は遅い方なので、
スカコン、スカコンという音なのだが、
力が入ると駒鳴りもリズミカルではなくなる。
こりゃあ限界だと思い、
以前新聞の広告で見た旭川の「中野刃物」さんに電話で予約。
月曜の休みに包丁を持って伺った。
5年ほど前に、地元の元大工さんに砥いでもらったのだが、
砥ぎ方が悪くて片刃であるべきものが両刃に近い状態になっているとのこと。
時間が掛かるので他に用事があるのであれば置いて行っても構わないが、
見学してても良いよとおっしゃる。
刃渡り33センチの包丁をどうやって砥ぐのか興味津々の自分。
勿論眼前1メーターでじっくり見させてもらった。
大きな洗濯タライのような木の桶に水を張り、真ん中に砥石を載せる木の台。
横には同じ様に水の入ったこれは少し小さめの桶に、
何本もの砥石が円を描くようにずらりと並ぶ。
砥ぎ師の中野さんがどっかりと正面の腰掛けに坐る。
一本の砥石を選び台に載せる。
包丁の刃を砥石に角度を付けて押し当て、
そのまま何の力も入れずに(のように見える)何回か往復。
砥ぐのではなく、滑らせるという方が正しい表現。
3、4回に分けて表を砥ぎ、返りを確かめながら裏を砥ぐ。
何度も砥石を代え同じ作業を繰り返す。
仕上げの砥石を使う頃には繊細そのもの。
刃に添えた指が包丁の鋼と話しをしている。
良い仕事を見せて頂いた。
刃物の扱い方についても参考になることを聞くことができた。
1年に1回研ぎに伺うことにしよう。
帰り道、思いたって神居に寄ってみた。
十字街のJAの駐車場に車を停め、子供の頃住んでいた付近を歩き回る。
大通りから裏側に入ると、昔からの家が所々にまだ建っている。
立ち止まって眺めるが記憶は霧の中。
唯一、この間50年振りに再会した江尻君生家のお寺が、
思った通りの距離のところに堂々と建っていた。
縁石に腰を下ろし、誘い合って学校へ行った日々を思い浮かべる。
涙流しながら付近を眺めている不審者がいると通報されたら困るので、
そこそこで帰ることにした。
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