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ご常連のFさん。
いつもの注文は『えび天ざる!大盛!!』
当店の品書きに『えび天ざる』なんていうのは無いのだが、
『せいろ』の『大盛』に『えび天別盛』のFさんだけの暗号。
だが昨年の秋あたりから注文が変わってきた。
まず『大盛』が外れた。
冬には『えび天』も外れ、『彩りきのこ並盛』になった。
何回かそんな注文が続いた時に何となく気になり、
『体の調子、どうですか?』と聞いたところ、
血糖値が高くて医者から『えび天禁止令』が出たそう。
『ほんとは、えび天食いたんだけど我慢するわ!』と。
近頃は『せいろ大盛』に注文が定まった。
昨日の日曜の昼時、 Fさんご来店。
席に着く前にカウンターで注文されるのがFさんの常。
『せいろ大盛!』に、パートのKちゃんが『えび天、付けますか?』と重ねる。
本日の注意事項として伝えていなかった店主が悪い。
『えび天はいらん』と何とも寂しそうなFさんの返答。
Kちゃんに実はこうなんだとその後話した。
お帰りのお会計の際のKちゃんの言葉、『さっきはすいませんでした。お体、お大事にしてくださいね!』
どんなに忙しくても、そんな一言を付け加えることのできる『心づかい』の店であって欲しい、
店主の思いが従業員に伝わっていると感じた瞬間であった。
午後1時を少し回った頃、『心づかい』が全く感じられない場面に出くわす。
『町内の市会議員のSです。市長候補のMさんの奥さんと挨拶に来ました!』
『これ、貼っといて。』と市長選挙用のポスターを渡し、
二組も待っているお会計の列の先頭に割り込み、そう言い放って帰って行った。
自分が会計をやっていたのなら、『ちょっと待てよ!お先のお客様がいるだろ!』
と言ったところなんだが、あいにく蕎麦を茹でている最中、あららという間の出来事だった。
大体が選挙の挨拶回りに、午後1時頃の飲食店に来るのが間違いである。
店やお客さんの迷惑にならぬよう、最後尾に立つという意識が全く無い。
帰った後、一人のお客様が言った。
『何なんだよ!あの態度は失礼だよ全く!!』
満席に近いほかのお客様も同じ思いだったらしく、『そうだ!そうだ!!』で盛り上がる。
心づかいの無い挨拶回りが、確実に10票以上の票を減らすことになる見本である。
いただいたポスターは、申し訳ないが即ゴミ箱行きとなったのは言うまでもない。
いつもの注文は『えび天ざる!大盛!!』
当店の品書きに『えび天ざる』なんていうのは無いのだが、
『せいろ』の『大盛』に『えび天別盛』のFさんだけの暗号。
だが昨年の秋あたりから注文が変わってきた。
まず『大盛』が外れた。
冬には『えび天』も外れ、『彩りきのこ並盛』になった。
何回かそんな注文が続いた時に何となく気になり、
『体の調子、どうですか?』と聞いたところ、
血糖値が高くて医者から『えび天禁止令』が出たそう。
『ほんとは、えび天食いたんだけど我慢するわ!』と。
近頃は『せいろ大盛』に注文が定まった。
昨日の日曜の昼時、 Fさんご来店。
席に着く前にカウンターで注文されるのがFさんの常。
『せいろ大盛!』に、パートのKちゃんが『えび天、付けますか?』と重ねる。
本日の注意事項として伝えていなかった店主が悪い。
『えび天はいらん』と何とも寂しそうなFさんの返答。
Kちゃんに実はこうなんだとその後話した。
お帰りのお会計の際のKちゃんの言葉、『さっきはすいませんでした。お体、お大事にしてくださいね!』
どんなに忙しくても、そんな一言を付け加えることのできる『心づかい』の店であって欲しい、
店主の思いが従業員に伝わっていると感じた瞬間であった。
午後1時を少し回った頃、『心づかい』が全く感じられない場面に出くわす。
『町内の市会議員のSです。市長候補のMさんの奥さんと挨拶に来ました!』
『これ、貼っといて。』と市長選挙用のポスターを渡し、
二組も待っているお会計の列の先頭に割り込み、そう言い放って帰って行った。
自分が会計をやっていたのなら、『ちょっと待てよ!お先のお客様がいるだろ!』
と言ったところなんだが、あいにく蕎麦を茹でている最中、あららという間の出来事だった。
大体が選挙の挨拶回りに、午後1時頃の飲食店に来るのが間違いである。
店やお客さんの迷惑にならぬよう、最後尾に立つという意識が全く無い。
帰った後、一人のお客様が言った。
『何なんだよ!あの態度は失礼だよ全く!!』
満席に近いほかのお客様も同じ思いだったらしく、『そうだ!そうだ!!』で盛り上がる。
心づかいの無い挨拶回りが、確実に10票以上の票を減らすことになる見本である。
いただいたポスターは、申し訳ないが即ゴミ箱行きとなったのは言うまでもない。
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最近あまり使われなくなった北海道の方言。
変なところに過度に神経質な人のことを言う。
小さい頃から、だらしがない家で出される食事やおやつを食べることが出来なかった。
ちゃぶ台の上の皿や箸の匂いを嗅いで、げんこつをもらったり足をつねられたりした。
帰りの道すがら、『ホントにお前は神経たかりなんだから!』と母親に説教されることがしばしば。
手に食べ物の匂いがつくのも大嫌いだった。
近所の爺さんたちが何人かで昼間から酒盛りをやっている。
子供たちが酒の肴の鮭缶をねだる。
自分の手のひらにも『ほれ』と載せてくれたとたん気持ちが悪くなり、
みんなに分からぬ様そっと捨てて手の匂いを嗅いだ。
鮭の水煮の生臭さが鼻を襲う。
家に飛んで帰り、何度も石鹸で手を洗った。
つい最近まで鮭水煮缶は食べることが出来なかったので、
幼少期の食の体験は恐るべしである。
たとえ家族であっても、大皿に持った料理を直箸で取ることに抵抗がある。
舐めた箸がどうのこうのというよりは、
納豆が付いた箸で、ほうれん草のおひたしを摘むのができないのである。
そんな『神経たかり』が食べ物商売をやっている。
さぞかし隅から隅までピッカピッカだとお思いでしょうが、
手抜きはそれなりにございます。
が、平均的な食べ物屋さんの、かなり上を行く清潔さを保っていると自負している。
2,3日前、保健所から封書が届いた。
今年度の優良食品衛生事業所に選ばれたのこと。
ついては表彰式をするので来いという。
行きませんて、そんなもの。
年に1回、保健所の巡回指導がある。
5分で終わる。
『あ~、キレイにしてますね、ハイ、結構です。』
蕎麦屋であれば、木鉢や打台、生舟の管理など見るところはいっぱいあるだろ。
そんな巡回の結果に基づく選定であるのなら、
仕事の時間を割いてまで、わざわざ行く必要は無いと判断した。
神経たかりで、相当へそ曲がりの蕎麦屋。
我が道を行く、である。
変なところに過度に神経質な人のことを言う。
小さい頃から、だらしがない家で出される食事やおやつを食べることが出来なかった。
ちゃぶ台の上の皿や箸の匂いを嗅いで、げんこつをもらったり足をつねられたりした。
帰りの道すがら、『ホントにお前は神経たかりなんだから!』と母親に説教されることがしばしば。
手に食べ物の匂いがつくのも大嫌いだった。
近所の爺さんたちが何人かで昼間から酒盛りをやっている。
子供たちが酒の肴の鮭缶をねだる。
自分の手のひらにも『ほれ』と載せてくれたとたん気持ちが悪くなり、
みんなに分からぬ様そっと捨てて手の匂いを嗅いだ。
鮭の水煮の生臭さが鼻を襲う。
家に飛んで帰り、何度も石鹸で手を洗った。
つい最近まで鮭水煮缶は食べることが出来なかったので、
幼少期の食の体験は恐るべしである。
たとえ家族であっても、大皿に持った料理を直箸で取ることに抵抗がある。
舐めた箸がどうのこうのというよりは、
納豆が付いた箸で、ほうれん草のおひたしを摘むのができないのである。
そんな『神経たかり』が食べ物商売をやっている。
さぞかし隅から隅までピッカピッカだとお思いでしょうが、
手抜きはそれなりにございます。
が、平均的な食べ物屋さんの、かなり上を行く清潔さを保っていると自負している。
2,3日前、保健所から封書が届いた。
今年度の優良食品衛生事業所に選ばれたのこと。
ついては表彰式をするので来いという。
行きませんて、そんなもの。
年に1回、保健所の巡回指導がある。
5分で終わる。
『あ~、キレイにしてますね、ハイ、結構です。』
蕎麦屋であれば、木鉢や打台、生舟の管理など見るところはいっぱいあるだろ。
そんな巡回の結果に基づく選定であるのなら、
仕事の時間を割いてまで、わざわざ行く必要は無いと判断した。
神経たかりで、相当へそ曲がりの蕎麦屋。
我が道を行く、である。
『四月の雨は、五月の花を咲かす』なんていう英語のことわざが頭に浮かぶ。
四月の雪や冷たい雨を我慢したのに、五月もそのまんま。
まったくもってどーしたんだ!この天気。
毎朝3時半か4時には外に出る。
いつもの年であれば、うるさいぐらいの小鳥のさえずりが聞こえてくるが、
今年はカラスの鳴き声だけ。静かなもんである。
昨日夕方、店前の浄水場の草地に4頭もの鹿がいた。
この山ん中でも、団体で見かけることは珍しく、餌が不足しているのかもしれない。
何十年ぶりかの悪天候の中のゴールデンウィーク。
まずまずのお客様の入りだったが、地方の方が極端に少なかった。
あちこちの峠で積雪状態であればそれも仕方がない。
温かい蕎麦の注文の比率が徐々に減ってくるのもこの季節。
だが、7割は温蕎麦。
そんな中、4月の末からお出ししている『冷しかしわ』が大苦戦である。
夏季限定のこの品書き。
待ってました、とばかりの売れ行きになるのが例年の常。
本日現在、忘れた様にしか注文が入らない。
鹿児島産の鶏胸肉を、固くならないように蕎麦のかけ汁でやわやわと煮込む。
その煮込み汁の油分などを丁寧に濾し、味醂、せいろの汁を加えて冷やかけ汁とする。
鶏胸を5枚載せて、水菜、晒し葱、椎茸の甘煮などにおろし生姜を一つまみ添えると完成。
さっぱりと召し上がっていただける一品となっている。
もうしばらくはこの低温状態が続くそう。
やけのやんぱち、やせ我慢の『冷しかしわ!』。
ご注文の声をお待ちしています。
四月の雪や冷たい雨を我慢したのに、五月もそのまんま。
まったくもってどーしたんだ!この天気。
毎朝3時半か4時には外に出る。
いつもの年であれば、うるさいぐらいの小鳥のさえずりが聞こえてくるが、
今年はカラスの鳴き声だけ。静かなもんである。
昨日夕方、店前の浄水場の草地に4頭もの鹿がいた。
この山ん中でも、団体で見かけることは珍しく、餌が不足しているのかもしれない。
何十年ぶりかの悪天候の中のゴールデンウィーク。
まずまずのお客様の入りだったが、地方の方が極端に少なかった。
あちこちの峠で積雪状態であればそれも仕方がない。
温かい蕎麦の注文の比率が徐々に減ってくるのもこの季節。
だが、7割は温蕎麦。
そんな中、4月の末からお出ししている『冷しかしわ』が大苦戦である。
夏季限定のこの品書き。
待ってました、とばかりの売れ行きになるのが例年の常。
本日現在、忘れた様にしか注文が入らない。
鹿児島産の鶏胸肉を、固くならないように蕎麦のかけ汁でやわやわと煮込む。
その煮込み汁の油分などを丁寧に濾し、味醂、せいろの汁を加えて冷やかけ汁とする。
鶏胸を5枚載せて、水菜、晒し葱、椎茸の甘煮などにおろし生姜を一つまみ添えると完成。
さっぱりと召し上がっていただける一品となっている。
もうしばらくはこの低温状態が続くそう。
やけのやんぱち、やせ我慢の『冷しかしわ!』。
ご注文の声をお待ちしています。
実は、パスタが大好きです。
蕎麦屋なんだから、『てやんでぇ~、音を立てて啜っちゃいけねえだと!
んな西洋の蕎麦みたいなモン、食ってられるかよ!!』と啖呵のひとつでも斬ってお断りするのが筋だと思うが、
フォークにクリクリと巻きつけながら結構頻繁に食べたりしている。
春、雪の下から一番最初に姿を現すのが蕗の薹。
今年のように季節外れの雪が積もり、
やれやれという気持ちを鎮めてくれるのも、この若緑色の魔法。
店横の崖地には数え切れないほどの丸い新芽が出てきた。
陽を浴びてしまうとエグミなんかが出やすくなってしまうので、
掘り起こすようにして袋一杯収穫する。
作るのは蕗味噌。
さっと茹でてから、粗微塵に刻み太白胡麻油で炒めて合せ味噌を絡めるだけ。
ほろ苦さが何とも言えず旨い。
この苦さの成分に、冬の間に弱った体を元気にさせる栄養素が含まれているそう。
季節季節の旬のものを有難く頂いていると、健康でいられることを実感できる。
ご飯の伴には最強の蕗味噌。
パスタの具材に使えないかと考えた。
蕗味噌を生クリームでのばし、少し煮詰めてソースにする。
新たに採って、さっと茹で微塵に切った蕗の薹に、たっぷりのパルミジャーノレジャーノを混ぜ、アルデンテニ茹で上げたパスタを絡めるだけ。
これが絶品。
身内で食べるだけでは勿体無いので、来年はご提供しようと思っている。
お遊びですので、その頃にご予約を頂いた方のみ。
蕎麦屋のパスタもなかなかのものです。
蕎麦屋なんだから、『てやんでぇ~、音を立てて啜っちゃいけねえだと!
んな西洋の蕎麦みたいなモン、食ってられるかよ!!』と啖呵のひとつでも斬ってお断りするのが筋だと思うが、
フォークにクリクリと巻きつけながら結構頻繁に食べたりしている。
春、雪の下から一番最初に姿を現すのが蕗の薹。
今年のように季節外れの雪が積もり、
やれやれという気持ちを鎮めてくれるのも、この若緑色の魔法。
店横の崖地には数え切れないほどの丸い新芽が出てきた。
陽を浴びてしまうとエグミなんかが出やすくなってしまうので、
掘り起こすようにして袋一杯収穫する。
作るのは蕗味噌。
さっと茹でてから、粗微塵に刻み太白胡麻油で炒めて合せ味噌を絡めるだけ。
ほろ苦さが何とも言えず旨い。
この苦さの成分に、冬の間に弱った体を元気にさせる栄養素が含まれているそう。
季節季節の旬のものを有難く頂いていると、健康でいられることを実感できる。
ご飯の伴には最強の蕗味噌。
パスタの具材に使えないかと考えた。
蕗味噌を生クリームでのばし、少し煮詰めてソースにする。
新たに採って、さっと茹で微塵に切った蕗の薹に、たっぷりのパルミジャーノレジャーノを混ぜ、アルデンテニ茹で上げたパスタを絡めるだけ。
これが絶品。
身内で食べるだけでは勿体無いので、来年はご提供しようと思っている。
お遊びですので、その頃にご予約を頂いた方のみ。
蕎麦屋のパスタもなかなかのものです。
好きな言葉は『孤高』。
姉や妹の女ばかりの中で育ったせいなのか、
小さいときから一人で遊ぶ子だったそう。
友達がいない訳ではなかった。
むしろ多い方で、仲間といる時間は好きだった。
でも一人で美瑛川の川辺で遊ぶ方が何倍も心が安らいだ。
高校の修学旅行。
行かなかった。
その代わりに、夏休みに自転車で北海道を一周する。
成人してからも、組織や集団に関係の無い人生だった。
蕎麦屋を開いてからよく受ける質問。
『どこで修行されたんですか?』
『修行はしてません。』
『じゃ、どこかの蕎麦打ち同好会に入っていたんですか?』
『どこにも入っていません。』
独学の蕎麦好きが蕎麦屋になるなんてぇのは、
星の数ほどの難題を抱え込むということ。
無論それは承知の上での出発。
一人で考え、悩み、答えを探すのが嬉しくて堪らない。
『孤高』とは精神の気高さも伴う。
自分はせいぜい『孤中』か『孤低』。
実在の人物ではないが『夢枕獏』作の小説『神々の頂』の主人公、
『羽生丈二』の生き方にどうしようもない共感を覚える。
挑むのが『チョモランマ』と『蕎麦』との違いだけ。
蕎麦というとてつもなくでっかい山に、
単独登頂してみようじゃないのと思っている。
この間、孤高とは真逆の風景をテレビで見る。
自民党国会議員の靖国神社集団参拝。
吐き気を催すような異様な映像である。
自己の信念に基づき行くのであれば、一人で行きなさい。
こんな連中がこの国の未来を決める立場にいるのかと思うと、
寒気を憶える。
姉や妹の女ばかりの中で育ったせいなのか、
小さいときから一人で遊ぶ子だったそう。
友達がいない訳ではなかった。
むしろ多い方で、仲間といる時間は好きだった。
でも一人で美瑛川の川辺で遊ぶ方が何倍も心が安らいだ。
高校の修学旅行。
行かなかった。
その代わりに、夏休みに自転車で北海道を一周する。
成人してからも、組織や集団に関係の無い人生だった。
蕎麦屋を開いてからよく受ける質問。
『どこで修行されたんですか?』
『修行はしてません。』
『じゃ、どこかの蕎麦打ち同好会に入っていたんですか?』
『どこにも入っていません。』
独学の蕎麦好きが蕎麦屋になるなんてぇのは、
星の数ほどの難題を抱え込むということ。
無論それは承知の上での出発。
一人で考え、悩み、答えを探すのが嬉しくて堪らない。
『孤高』とは精神の気高さも伴う。
自分はせいぜい『孤中』か『孤低』。
実在の人物ではないが『夢枕獏』作の小説『神々の頂』の主人公、
『羽生丈二』の生き方にどうしようもない共感を覚える。
挑むのが『チョモランマ』と『蕎麦』との違いだけ。
蕎麦というとてつもなくでっかい山に、
単独登頂してみようじゃないのと思っている。
この間、孤高とは真逆の風景をテレビで見る。
自民党国会議員の靖国神社集団参拝。
吐き気を催すような異様な映像である。
自己の信念に基づき行くのであれば、一人で行きなさい。
こんな連中がこの国の未来を決める立場にいるのかと思うと、
寒気を憶える。