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ここの土地の先住民はキタキツネの「コンキチ」。
店裏の崖地の何処かに巣穴があるらしく、
時々姿を現して何の警戒心もなく、そこいらの草叢で昼寝なんぞをしてくれる。
一月ほど前から店の隣にプレハブの現場事務所が建てられ、浄水場の工事が始まった。
毎日ダンプが行き交い、その他の重機の騒音がやかましい。
「コンキチ」も何事が起きたのかと思ったのか、
頻繁に姿を現すようになった。
厳しい冬を過ごしたせいかすっかり痩せ細っている。
7月になってもぐずついた天気が続いていたが、
先週の後半からやっと夏らしい陽気になった。
そんな金曜の昼下がり、蕎麦も無くなり売切れの看板を出そうと思っていた頃、
「コンキチ」が現れた。
なんと「チビコンキチ」を連れているではないか。
勝手にオスだと思っていたのだが違っていたようだ。
背丈が伸びたアカツメグサの根本で、親はうたた寝をしている。
だが「チビコンキチ」は黙っていない。
しばらく親の周りを飛び回っていたが不意に崖の方に姿を消した。
すると「コンキチ」は直ぐに気が付き探しだした。
キツネは「コンコン」ではなく、犬みたいに「ワンワン」と鳴くんですな。
子を呼ぶ鳴き声も聞こえなくなり、やがて姿も見えなくなったので無事見つかったのだろう。
この辺りも交通量が増えてきたので事故なんぞに合わずに育って欲しい。
動物関連のお話をもう一つ。
2年以上飼っていた「ベタ」という観賞魚が死んだ。
「ウイちゃん」と名前をつけ可愛がっていた。
寿命は1年位だそうなので長生きした方だろう。
お腹が空くと入っている瓶を頭でコンコン頭突きをして餌をねだる。
飼育の適温は25度ぐらいだというので、
夏はエアコンが効いて涼しい蕎麦屋に下ろしたり、
冬は暖房器具の上にマットを敷いて上に乗せたりと、
結構まめまめしく面倒を見ていた。
1週間前の火曜日の朝、
いつも通りに餌をやりしばらくして見てみると、
猛烈な勢いで泳ぎ回っているではないか。
下に敷いている水草なんかも上に上がるほど蹴散らしている。
変なことをするなと思いつつ、定休日恒例の大掃除のために蕎麦屋に降りる。
昼近く2階に上がって様子を見ると動かない。
瓶を揺すったり叩いたりしても全く反応が無く死亡を確認。
もしかしたら喉詰まりをしたのかもしれない。
長い間この家を和ませてくれた。
感謝、感謝。
動かなくなった「ウイ」を食卓テーブルに載せてお通夜をする。
喉詰まりといえば亡くなった母親が度々やっていた。
食道が細いのと姿勢が悪いのとが重なり、しょっちゅう詰まらせていた。
「気を付けて食べなきゃ駄目だよ!」と偉そうに文句を言っていた自分。
最近同じように時々喉が詰まる。
一旦詰まるとどうしようも無い。
どんな食材が詰まりやすいかということもない。
水でも詰まるのである。
30分ほど時間を掛けると徐々に降りて行く場合もあるが、
手っ取り早いのはトイレに駆け込み吐き出すこと。
これが二日酔いのトイレとお友達状態と同じぐらい辛い。
蕎麦の一口目なんぞは滅茶苦茶詰まりやすい。
「母さんがどんなに辛かったか分かるかい?」
そんな声が屈み込んだ背中の方から聞こえてくる。












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連日のポカポカ陽気で店前の駐車場はすっかり地面を表した。
除雪の雪山も日増しにその高さを減らしている。
4ケ月に渡る雪との戦いもようやく終わる。
北上した低気圧が北海道の上で二つ合体し、
猛烈に発達するというパターンは今後ますます顕著になるだろう。
年々衰える自分の体力を考えると頭が痛いが、
眺めのいい場所に家を建てた代償である。
冬場の貴重なエキササイズだと思って頑張るしかないでしょう。
春のお彼岸を前にして墓苑を回る市道も開通した。
落石町側の住民にとって「EON」や街中に抜ける近道のこの道路。
4月に広域病院の開業がすると南が丘方面の人達が利用する便利な道になる。
交通量も増えてますます店も繁盛するといきたいところである。
だが悩みの種は常に付きまとう。
平成26年度分の決算が終わった。
売上高は予想に反し前年度より少々増えていた。
製造原価は若干減っている。
だが利益が出てこない。
原因の一つは電気料金のアップである。
なんと前の年より10万円以上増えている。
北電の口車に乗ってしまい、オール電化で事業を始めた方はみんな愕然としていると思う。
風力や太陽光の発電が これだけ盛んになっているこの地域。
北電の一社独占の状態から脱却して、安価な電力を手に入れることが出来る様になって欲しい。
40年経過した原発を廃炉するのに30年以上かかるという。
汚染物質の処分方法も定まってはいない。
そんな厄介なものを後世に残すべきではない。
さて、最近さっぱりと遠ざかってしまった「はまなす通り」。
週末にスナックでバイトしているパートのYちゃんの話によると、
飲んだあとに蕎麦を食べたがるお客さんが結構いるらしい。
昔は「千両」という恐ろしく不揃いの蕎麦を出す手打ちの店があった。
今は蕎麦を食べることができる店は無い。
「せいろ」と「かけ」だけに品書きを絞り、
良い目の日本酒と、手間は掛けぬが気の利いた「つまみ」を置く。
そんな「深夜食堂」みたいな蕎麦屋をやったら繁盛すると思う。
どなたかやって見たいという方はい らっしゃいませんかね。
蕎麦と汁は本店が卸す。
「にの字2号店」案外良いかもしれません。







土曜日の朝、起きたら首が回らない。
ケンビキというのでしょうか、そこがパンパンに張ってしまっている。
前の日の夜、福島町から取り寄せたスルメを一生懸命食べたせいかなと思った。
だがスルメごときでこんなになるはずはない。
金曜日は一週間振りの週末低気圧がやってきた。
気温は高い状態が続きほぼ地面が顔を出していた。
そこに5,60センチの積雪。
実はそんな状態での除雪が一番厄介なのである。
露出している砂利を巻き込まないよう、常に除雪機のオーガの高さを調節しなければならない。
腕と肩を酷使した結果の異常なんでしょう。
店裏の空地は凄いことになってしまった。
山脈のような雪山が出来上がってしまい自慢の景色が見えない。
こんな状態はここに住んで初めてののことである。
雪の山脈を眺めていたら、小学2.3年生の頃を思い出した。
ネパールの8000mを超える高峰「マナスル」に日本人登山隊が初登頂を果たした。
戦後の明るいニュースの無い時代、国中がその快挙に沸き立った。
旭川は神居小学校の校庭、雪の季節には大きな山ができる。
その山を「マナスル」に見たてて記念の写真を撮ったのがアルバムに残っている。
「祝、マナスル登頂」の横断幕を書いたのは自分。
学級長みたいな役をやっていたために書いたのかもしれない。
当時書道教室に通って習ってはいたが、「カタガナ」は筆字では以外と難しい。
一発で書き上げなければならない緊張感もあったのだと思う。
何とも無残な「マナスル」の文字に、消え入りたい様な恥ずかしさを覚えた記憶が残っている。
昨年、神居時代の懐かしい友達に二人も会うことができた。
「江尻」君と「青木」君。
せっかく訪ねてきてくれたのに、営業することを優先して何の話もできなかった。
これは欠点だらけの自分の中でも最大の悪癖である。
「真面目さ」を装う「愚かさ」の見本みたいなもんですな。
「江尻」君によると、自分は宮沢賢治の「風の又三郎」の様だったと言う。
ある日突然風に乗るようにしてみんなの前から消えてしまったそう。
「転校」は子供にとって再生の機会でもあり落とし穴でもある。
川崎の中学生殺人事件。
なぜにそんなグループと付き合うようになったのかと報道は探る。
都会に出て来たという浮きだったような高揚感もあっただろうが、
小さな島での優等生というレッテルを剥がしたかった一面もあったのかもしれない。
片親か両親か分からないけれど、あんなアザできるほど殴られた子供の顔を見た時に、
親が取らなければならない行動は決まっているだろう。
殺された子供の親、そして出頭する息子に弁護士を付けさせた実行犯であろう18歳の親。
なんとも溜息しか出てこない世の中になってしまった。











店裏の雑草も季節に合わせ成長を止めた。
5月の末あたりからの定休日の定番仕事、草刈り作業もやっと終了。
次に控えるのは雪との闘い。
6年間の酷使に耐えたホンダの除雪機は、
雪を巻き上げるドラムのところに穴が空いてしまい、
車の修理を頼んでいるSボデーさんに溶接で塞いでもらった。
この頃は車を始めとして壊れたところはぞっくり部品交換が主流。
二代目の若社長は「なんとかしましょう!」と、
職人の技で工夫を凝らしてくれる有難い存在である。
準備万端抜かりなく整ったところ、
本日早速白いものが舞った。
店前と店裏合せて200坪の除雪は大仕事。
4、5台駐められるだけやればいいものを、
妙なところに几帳面な性格は、隅から隅まで圧雪車でならした様に仕上げなければ気が済まない。
でも昨年あたりからそんな気持ちとは裏腹に体力がついて行かなくなった。
老いるということは、いろんなことに妥協していくこと。
雪はその様な当たり前の事実を目の前に突きつけてくれる。
今年は大雪や猛吹雪の日は店休みます。
でも、大荒れの天気になると必ずやって来るお客さんがいるんですな。
チャレンジ精神というのか、ロクに除雪車も入っていないような道をかき分けて来る。
考えてみると若い時の自分もそうだった。
タイヤにチェーンを巻きつけて腹をこすりそうな雪の中を、
行きつけの喫茶店へと走っていた。
自然の猛威に抗うことに快感を感じるそんな感覚。
気合一つで体力なんか無限大に湧いてくるものと思っていたが、
67歳にしてそれは間違いだということに気づく。
定休日以外の臨時休業がいささか増えるかもしれないがどうぞご理解いただきたい。
今冬の長期予報は暖冬だと言ってみたり、いや厳しい寒さになると言ったり、
どっちなのかはっきりしない。
予想もつかないような大きな異変がこの星に起きているのだろう。
鵡川では大量の鰯が打ち上げられたそう。
大地震の不吉な前触れでなければ良いなと思う。
開店以来のお客様、W御夫婦の奥さんが亡くなられた。
42歳の若さである。
このブログも見ていて下さったようで、時々励ましの言葉など頂いていた。
パートさんが帰ったあと、いつも座られていた二番の席に水を置く。
ご冥福を祈る。








嵐のようなお盆の一週間が過ぎた。
連日の売り切れ仕舞いのため、せっかくいらして頂いたのに帰られた方も多く居ただろう。
本当に申し訳ございません。
もっと多く蕎麦を打てば良いのにと思われるかもしれないが、
厨房の広さ、従業員の数、食器などの数、
そして何より茹で方から天ぷらまで調理全てを賄う店主の体力を考えると、
一日四十名ほどのお客様が限界である。
それ以上やって出来ないことはないが仕事が雑になる。
儲けは殆ど出て来ないが、手打ちの蕎麦屋は数をこなせば良いというものではない。
人生と同じ、ほどほどのところで見切りを付ける、これが肝心。
17日の日曜日。
時分どきの混雑が過ぎ、一息ついていた。
それでも席は大方埋まり、団体さんが入られると空き待ちになるなと思っていた頃、
1歳位の幼児を抱いた若いお母さんが入って来た。
若い女性のお一人様は当店では珍しいことではない。
だが小さいお子さんを連れたお一人は滅多にいらっしゃら無い。
あいにく店には乳児用の椅子の用意はしておらず、
抱っこしながら召し上がるのかなと思いながら、
注文のかき揚げおろしの天ぷらを揚げていると、
何やら客席からにぎやかな笑い声が上がっている。
見てみると、親子の隣の席の初老の夫婦が赤ちゃんをあやしている。
偶然知り合いに会った様な話ぶり。
食べ終えたご夫婦が子供を抱きながら、母親が蕎麦を食べるのを見守っている。
お会計の時、若いお母さんに聞いてみた。
「お知り合いに会えて良かったですね!」と言うと、
「全然知らない方です!面倒見てくれてお蕎麦ゆっくり食べれました!」
自分が理想としている店づくりがそこにある。
食べかけの丼を持ちながら席を移ってくれるお客様。
蕎麦湯を飲むのもそこそこに、空き待ちの方のために立ち上がるお客様。
そんな方達に甘えてはいけないのだろうが、
店の雰囲気というものは店側だけで作れるものではない。
長い時間をかけてお客様と店が醸し出す空気である。
6年という歳月の積み重ねがそのような土壌を作ってくれたのだろう。
そこに苗を植え、花を咲かすのは店主の努力次第。
もうしばらく老体に鞭打ち仕事に励まなければお客様に申し訳が立たない。
ふと外を見るとイタドリの葉が黄色くなっている。
あっという間に秋がやってきていた。

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