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書き入れ時の週末になると、お客様ではなく低気圧がやってくる。
今週も土曜の昼から雪と風が強くなり、日曜には猛烈な吹雪となった。
いつもなら午後の早い時間に閉店とするところなのだが、
夜6時半から8名様の『にの字御膳』の予約が入っていた。
依頼主は高校時代の同期のK君。
仕込みの都合もあるので、2時頃確認の電話をすると、
彼らしい飄々とした返事、『大丈夫だよ、必ず行くから! 』。
言葉どおり、雪を掻き分け10分前に6名様ご到着。
定刻には北見からの2名様も見えられ、宴会開始。
K君の奥様の3姉妹を中心にした集まりだそう。
程よくお酒も入り、厨房で仕事をしながら『もらい笑い』をしそうになるほど、
誰がじーさんやばーさんの一番のメンコだったかなど、邪気の無い昔の話で盛り上がっている。
聞けば、バレンタインの行事をやめて、この時期に親戚一同集まり食事をしているそう。
多くの動物がそうであるように、人は家族から離れ新しい家族を造る。
ひとつひとつの家族を結び合うもの。
それは、亡くなった両親や祖父母に辿り着くそれぞれの思い出。
『絆』。
2年前の3月11日以来、何度も何度も叫ばれ続けたこの言葉。
被災地の人達と心をひとつにして復興を目指すという意味に使われる『絆』と、
震災を機に家族の有様を考える際の『絆』とに分けられる。
自分達の『絆』を確かめることが、震災に遭われた人達と結びつく『絆』に繋がっていくと思う。
『美味しかったよ~、ごちそうさまぁ~!』。
出て行かれるK君ご家族一同様を見送りながら、
そんな事を考えました。
今週も土曜の昼から雪と風が強くなり、日曜には猛烈な吹雪となった。
いつもなら午後の早い時間に閉店とするところなのだが、
夜6時半から8名様の『にの字御膳』の予約が入っていた。
依頼主は高校時代の同期のK君。
仕込みの都合もあるので、2時頃確認の電話をすると、
彼らしい飄々とした返事、『大丈夫だよ、必ず行くから! 』。
言葉どおり、雪を掻き分け10分前に6名様ご到着。
定刻には北見からの2名様も見えられ、宴会開始。
K君の奥様の3姉妹を中心にした集まりだそう。
程よくお酒も入り、厨房で仕事をしながら『もらい笑い』をしそうになるほど、
誰がじーさんやばーさんの一番のメンコだったかなど、邪気の無い昔の話で盛り上がっている。
聞けば、バレンタインの行事をやめて、この時期に親戚一同集まり食事をしているそう。
多くの動物がそうであるように、人は家族から離れ新しい家族を造る。
ひとつひとつの家族を結び合うもの。
それは、亡くなった両親や祖父母に辿り着くそれぞれの思い出。
『絆』。
2年前の3月11日以来、何度も何度も叫ばれ続けたこの言葉。
被災地の人達と心をひとつにして復興を目指すという意味に使われる『絆』と、
震災を機に家族の有様を考える際の『絆』とに分けられる。
自分達の『絆』を確かめることが、震災に遭われた人達と結びつく『絆』に繋がっていくと思う。
『美味しかったよ~、ごちそうさまぁ~!』。
出て行かれるK君ご家族一同様を見送りながら、
そんな事を考えました。
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3月2日の吹雪は凄かった。
朝は風も無く青空が広がって、絶好の行楽日和。
天気予報が外れてくれればと願いながら開店の準備をする。
10時を廻った頃、窓の外を見ると、さっきまで春の日差しに輝いていた沙留の街並みが見えなくなっている。、
おやっと思う間も無く、渚滑の辺りも一瞬で白く煙ってしまう。
台風のような低気圧の襲来である。
そんな天気の中、15名のお客様御来店。感謝感謝。
2時近くになるとますます風が荒れ狂い、視界30センチの状況に突入した。
パートさんを帰し2時半で閉店する。
都会の方には想像すら出来ないだろうが、
視界30センチというのは、いわゆる『ホワイトアウト』である。
前後左右、さらには天地までもが分からなくなる。
この天候の急変で、近隣でも多くの方が亡くなった。
とりわけ心が痛むのは湧別の父と娘。
雪山に突っ込んだ車を捨てて、近くの農業倉庫の軒先に避難。
50代の漁師の父親は、小学生の娘に自分が着ていたものを被せ、
下着一枚になり娘を抱きかかえて吹き溜まりに埋まった。
発見された際、女の子は奇跡的に無事。
父親は抱きかかえたまんま亡くなっていたそう。
年のせいか、こういう話は涙が出て止まらない。
子供を虐待したり、挙句の果てには殺したりという報道が珍しくなくなったご時世。
人の心の在り様は抗うことの出来ない大自然の中で、
鍛えられ、磨かれて、自己犠牲という神の愛の領域に昇華する。
そんな事をしみじみと考えさせられました。
ご冥福を祈ります。
朝は風も無く青空が広がって、絶好の行楽日和。
天気予報が外れてくれればと願いながら開店の準備をする。
10時を廻った頃、窓の外を見ると、さっきまで春の日差しに輝いていた沙留の街並みが見えなくなっている。、
おやっと思う間も無く、渚滑の辺りも一瞬で白く煙ってしまう。
台風のような低気圧の襲来である。
そんな天気の中、15名のお客様御来店。感謝感謝。
2時近くになるとますます風が荒れ狂い、視界30センチの状況に突入した。
パートさんを帰し2時半で閉店する。
都会の方には想像すら出来ないだろうが、
視界30センチというのは、いわゆる『ホワイトアウト』である。
前後左右、さらには天地までもが分からなくなる。
この天候の急変で、近隣でも多くの方が亡くなった。
とりわけ心が痛むのは湧別の父と娘。
雪山に突っ込んだ車を捨てて、近くの農業倉庫の軒先に避難。
50代の漁師の父親は、小学生の娘に自分が着ていたものを被せ、
下着一枚になり娘を抱きかかえて吹き溜まりに埋まった。
発見された際、女の子は奇跡的に無事。
父親は抱きかかえたまんま亡くなっていたそう。
年のせいか、こういう話は涙が出て止まらない。
子供を虐待したり、挙句の果てには殺したりという報道が珍しくなくなったご時世。
人の心の在り様は抗うことの出来ない大自然の中で、
鍛えられ、磨かれて、自己犠牲という神の愛の領域に昇華する。
そんな事をしみじみと考えさせられました。
ご冥福を祈ります。
蕎麦打ちの中で麺体を包丁で切る作業は難しそうに見える。
『よくこんなに細く同じ幅に切れますね』と、たまに言われることがある。
『えぇ、まぁ』なんて返事をしてごまかしているが、
昔から『切り三月、延し三年、木鉢一生』と言われるとおり、
蕎麦を切るのは難しいことではない。
きちんと水回しがされて均一に伸された麺体であれば、
力を入れず駒板に当てた包丁を少し前に押し出す動作をリズミカルに繰り返すことで、
同じ細さに切り揃えることは簡単である。
だが最近包丁仕事の調子が取れなくなってきた。
思い当たる原因は指のひび割れ。
一日中水仕事の蕎麦屋には手荒れがつき物。
力の入る親指は特に酷い。
真皮に一皮のひび割れの痛みは、作業のバランスを崩す。
親指をかばい他の指に変な具合に力が入り、
包丁の握りがきつくなる。
『スカコン』、『スカコン』という包丁と駒板が奏でる小気味の良い『駒鳴り』は、
余計な力が抜けた正しい包丁仕事の音。
指は蕎麦屋の命。
日頃のケアに心がけ、正常な状態に保たなければならない。
さて、我が国のソプラノサックスのトップ『本多俊之』氏。
昨年秋、突然のご来店。
その際、来年のホワイトコンサートにまた来るので、
『刻み鴨せいろ』をぜひ食べに来たいと言われた。
コンサートは2月18日の月曜日。
いらっしゃるのであれば日曜日だと思い、準備してお待ちしたが肩透かし。
後で関係者の方に話を聞くと、同行した女優の宮本信子さんに美味い蕎麦を食べさせてあげると、
飛行機の中で話をされていたそう。
ところが空港で出迎えた実行委員会の方々が、どーっちゅうことの無いラーメン屋に連れて行ってしまった。
ホワイトコンサートは狭くて音響の悪い会場だったが、素晴らしい演奏に浸ることが出来た。
その後、本多さんのオフィシャルブログに『待っていたのに!』と未練たらしいコメントを寄せた。
するとなんと丁寧にコメントを返してくれたのである。今度は必ず伺うと。
お待ちしています、本多俊之様。
『よくこんなに細く同じ幅に切れますね』と、たまに言われることがある。
『えぇ、まぁ』なんて返事をしてごまかしているが、
昔から『切り三月、延し三年、木鉢一生』と言われるとおり、
蕎麦を切るのは難しいことではない。
きちんと水回しがされて均一に伸された麺体であれば、
力を入れず駒板に当てた包丁を少し前に押し出す動作をリズミカルに繰り返すことで、
同じ細さに切り揃えることは簡単である。
だが最近包丁仕事の調子が取れなくなってきた。
思い当たる原因は指のひび割れ。
一日中水仕事の蕎麦屋には手荒れがつき物。
力の入る親指は特に酷い。
真皮に一皮のひび割れの痛みは、作業のバランスを崩す。
親指をかばい他の指に変な具合に力が入り、
包丁の握りがきつくなる。
『スカコン』、『スカコン』という包丁と駒板が奏でる小気味の良い『駒鳴り』は、
余計な力が抜けた正しい包丁仕事の音。
指は蕎麦屋の命。
日頃のケアに心がけ、正常な状態に保たなければならない。
さて、我が国のソプラノサックスのトップ『本多俊之』氏。
昨年秋、突然のご来店。
その際、来年のホワイトコンサートにまた来るので、
『刻み鴨せいろ』をぜひ食べに来たいと言われた。
コンサートは2月18日の月曜日。
いらっしゃるのであれば日曜日だと思い、準備してお待ちしたが肩透かし。
後で関係者の方に話を聞くと、同行した女優の宮本信子さんに美味い蕎麦を食べさせてあげると、
飛行機の中で話をされていたそう。
ところが空港で出迎えた実行委員会の方々が、どーっちゅうことの無いラーメン屋に連れて行ってしまった。
ホワイトコンサートは狭くて音響の悪い会場だったが、素晴らしい演奏に浸ることが出来た。
その後、本多さんのオフィシャルブログに『待っていたのに!』と未練たらしいコメントを寄せた。
するとなんと丁寧にコメントを返してくれたのである。今度は必ず伺うと。
お待ちしています、本多俊之様。
先週の土曜日から始めた品書きです。
カレー南蛮の汁をちょっと濃い目にし、
生クリームを少々入れた熱々のつけ汁に、
冷たい蕎麦をつけて食べていただく。
残った汁はもったいないので、かけて召し上がれるよう、
小鉢の雑穀米にフライドオニオンを一掴み乗せてお出しする。
お値段は1000円なり。
メニュー表には載せないで、黒板の『本日のおすすめ』で様子見と決め込んだ。
値段も高めなので、せいぜ2日に1食ぐらいと予想していたが、
土曜日2食、日曜3食と注文が相次ぐ。
『おすすめ』を選ぶお客様の8割は新規の方々。
定番化するにはもう少し判断の時間が必要だが、
蕎麦との相性もまずまず。
生クリームのためなのか食べ応えもあるので、
若い方たちに受け入れられる可能性はあるのではないかと思う。
さて、今朝いつもの美容室で髪を切ってきた。
落ちてくる髪の毛がずいぶん細くなったことに気がつく。
死んだ父親の天頂ハゲは何とか引き継がずに済みそうだが、
白髪と細くなるのはどうしようもない。
一般的に髪が細くなるのはハゲの前兆と言われているが、
自分の場合は白くなる前段階らしい。
今まで周りのハゲ達を散々馬鹿にしてきた報いが来るのではと怖れていたが、
どうやら安心できそうである。
まっ、蕎麦屋を始めてから、いつも五分刈りに近い短さなので、
ハゲても白くなってもあまり関係はない。
それにしても最近気になるのは、
髪を長く伸ばしたまんまで被り物もせず調理する連中が多いこと。
抜け毛は絶対に避けられない事象。
食べ物商売の『いろは』の『い』でしょうが。
カレー南蛮の汁をちょっと濃い目にし、
生クリームを少々入れた熱々のつけ汁に、
冷たい蕎麦をつけて食べていただく。
残った汁はもったいないので、かけて召し上がれるよう、
小鉢の雑穀米にフライドオニオンを一掴み乗せてお出しする。
お値段は1000円なり。
メニュー表には載せないで、黒板の『本日のおすすめ』で様子見と決め込んだ。
値段も高めなので、せいぜ2日に1食ぐらいと予想していたが、
土曜日2食、日曜3食と注文が相次ぐ。
『おすすめ』を選ぶお客様の8割は新規の方々。
定番化するにはもう少し判断の時間が必要だが、
蕎麦との相性もまずまず。
生クリームのためなのか食べ応えもあるので、
若い方たちに受け入れられる可能性はあるのではないかと思う。
さて、今朝いつもの美容室で髪を切ってきた。
落ちてくる髪の毛がずいぶん細くなったことに気がつく。
死んだ父親の天頂ハゲは何とか引き継がずに済みそうだが、
白髪と細くなるのはどうしようもない。
一般的に髪が細くなるのはハゲの前兆と言われているが、
自分の場合は白くなる前段階らしい。
今まで周りのハゲ達を散々馬鹿にしてきた報いが来るのではと怖れていたが、
どうやら安心できそうである。
まっ、蕎麦屋を始めてから、いつも五分刈りに近い短さなので、
ハゲても白くなってもあまり関係はない。
それにしても最近気になるのは、
髪を長く伸ばしたまんまで被り物もせず調理する連中が多いこと。
抜け毛は絶対に避けられない事象。
食べ物商売の『いろは』の『い』でしょうが。
毎朝3時過ぎには起き、蕎麦を打つ。
仕事をしながらラジオを聞くことにしている。
民放のラジオはこの時間帯、若者向けの眠気覚ましのものばかり。
ガキどもが朝からギャーギャー騒いでいるだけの放送はゴメンなので、
NHKのFMに周波数を合わせることが多い。
先日『ラジオ深夜便』という番組で、『リビング・ウイル』について語られていた。
語り手は、愛知県がんセンター名誉総長、大野竜三医師。
日本語に直訳すると『(終末期における)生前の意思表示』ということか。
命には限りがある。
高齢者に対する延命治療には以前から疑問を持っていた。
昨年、92歳の義母が亡くなった。
入院先の病院はとても良く対処してくれたが、疑問に思うこともあった。
腎臓の機能が低下して尿がほとんど出ていないのに、ドンドコ点滴が打たれる。
当然のことながら全身にむくみが生じ、体の向きを変えるのにも差し障りが出てくる。
何とか出来ないものかと見守っていた。
大野先生は、リビングウイルがあれば点滴は最低必要量に抑えられるという。
胃ろうによる延命も、経口摂取の回復が見込まなければ無意味と説く。
まったくそのとおりと思う。
末期のがんに蝕まれていても、1時間前まで普通に食事をして逝くことも可能だと言われる。
さらし葱と、おろし生姜がたっぷり乗った冷奴をあてに酔っ払った後、
西日の当る縁側で、ごろっと横になったまま、死んじまうなんていう理想のおさらばも出来ちゃうわけです。
この世の残り時間が数えられるようになったら、
大野医師の著書を一読されたらどうか。
麻生太郎の『年寄は、さっさと死ねばいい』もあながち暴言ではない。
自慢話をひとつ。
2年生の孫が、スキージュニア検定の1級に合格した。
大人の2級に該当するそうで、小学5,6年でなければ受かるのは難しい。
ソチは間に合わないけど、目指せ冬期オリンピックである。
点滴でも、胃ろうでも何でもしてくれ、そんな姿を見るまでは死にたくねぇ~、
といいかねない自分がもう片方にも居る。
仕事をしながらラジオを聞くことにしている。
民放のラジオはこの時間帯、若者向けの眠気覚ましのものばかり。
ガキどもが朝からギャーギャー騒いでいるだけの放送はゴメンなので、
NHKのFMに周波数を合わせることが多い。
先日『ラジオ深夜便』という番組で、『リビング・ウイル』について語られていた。
語り手は、愛知県がんセンター名誉総長、大野竜三医師。
日本語に直訳すると『(終末期における)生前の意思表示』ということか。
命には限りがある。
高齢者に対する延命治療には以前から疑問を持っていた。
昨年、92歳の義母が亡くなった。
入院先の病院はとても良く対処してくれたが、疑問に思うこともあった。
腎臓の機能が低下して尿がほとんど出ていないのに、ドンドコ点滴が打たれる。
当然のことながら全身にむくみが生じ、体の向きを変えるのにも差し障りが出てくる。
何とか出来ないものかと見守っていた。
大野先生は、リビングウイルがあれば点滴は最低必要量に抑えられるという。
胃ろうによる延命も、経口摂取の回復が見込まなければ無意味と説く。
まったくそのとおりと思う。
末期のがんに蝕まれていても、1時間前まで普通に食事をして逝くことも可能だと言われる。
さらし葱と、おろし生姜がたっぷり乗った冷奴をあてに酔っ払った後、
西日の当る縁側で、ごろっと横になったまま、死んじまうなんていう理想のおさらばも出来ちゃうわけです。
この世の残り時間が数えられるようになったら、
大野医師の著書を一読されたらどうか。
麻生太郎の『年寄は、さっさと死ねばいい』もあながち暴言ではない。
自慢話をひとつ。
2年生の孫が、スキージュニア検定の1級に合格した。
大人の2級に該当するそうで、小学5,6年でなければ受かるのは難しい。
ソチは間に合わないけど、目指せ冬期オリンピックである。
点滴でも、胃ろうでも何でもしてくれ、そんな姿を見るまでは死にたくねぇ~、
といいかねない自分がもう片方にも居る。