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ここんところ、鴨南や鴨せいろを注文されたお客様の5人に1人くらいの割合で、ネギを残されるのです。
当店のネギは、寸に切った白いところを鴨の油で焼き付けた、江戸時代から続く伝統のやり方です。自分が食べても、このネギがあれば鴨肉はいらねぇよというくらい、ネギの美味しさを味わえる調理方法なのです。
下がってきたドンブリの中にそんなネギがポッカリ浮いているのを見ると、あ~ぁ、まただ!と肩を落としてしまいます。どうやらこの地方の方達にとって、こんなネギの食べ方は馴染みが無いのが原因ではないかと最近気がつきました。目新しいもの、異なるものを受け入れ難い土地の土壌があるのかもしれません。
でもこのやり方を変えるつもりはありません。せいろのつゆもそうです。砂糖も味醂もぎりぎり押さえて使っているので、蕎麦猪口にどっぷりつけ、ぐりっとかき混ぜて食べる人達には、しょっぱい、辛い、と言われますが、甘くするつもりはありません。開店の際、この作り方が旨いのだと、決めた事柄は『にの字』の基本姿勢です。欠点を変える、修正することには何の衒いもないのですが、基本姿勢が崩れてはなんねぇ~のです。
給付金をもらう、もらわないで騒いでいた国会で、『矜持』という言葉を軽々しく使ったアホ政治家がいますが、
本来『矜持』とは、男が命懸けで守らねばならないものを決めて実行に移す時、基本の姿勢を正す、すなわち襟を持って姿勢を直すというのがこの字句の意味です。高倉健さんが緋牡丹のお竜さんにそれとなく別れを告げ、二度と帰らないであろうお竜さん家の玄関を肩越しに振り返りながら、ピシッと襟を直し、ひとりで悪ヤクザ家に殴りこみを掛ける、なんちゅう時に使われる言葉なのです。
たとえお客さんが少なかろうと、この味を判ってくれるまでは必死に頑張る『えりもち』じゃねぇ『きょうじ』を蕎麦屋でさえ持ってんだよ、麻生クン!!
当店のネギは、寸に切った白いところを鴨の油で焼き付けた、江戸時代から続く伝統のやり方です。自分が食べても、このネギがあれば鴨肉はいらねぇよというくらい、ネギの美味しさを味わえる調理方法なのです。
下がってきたドンブリの中にそんなネギがポッカリ浮いているのを見ると、あ~ぁ、まただ!と肩を落としてしまいます。どうやらこの地方の方達にとって、こんなネギの食べ方は馴染みが無いのが原因ではないかと最近気がつきました。目新しいもの、異なるものを受け入れ難い土地の土壌があるのかもしれません。
でもこのやり方を変えるつもりはありません。せいろのつゆもそうです。砂糖も味醂もぎりぎり押さえて使っているので、蕎麦猪口にどっぷりつけ、ぐりっとかき混ぜて食べる人達には、しょっぱい、辛い、と言われますが、甘くするつもりはありません。開店の際、この作り方が旨いのだと、決めた事柄は『にの字』の基本姿勢です。欠点を変える、修正することには何の衒いもないのですが、基本姿勢が崩れてはなんねぇ~のです。
給付金をもらう、もらわないで騒いでいた国会で、『矜持』という言葉を軽々しく使ったアホ政治家がいますが、
本来『矜持』とは、男が命懸けで守らねばならないものを決めて実行に移す時、基本の姿勢を正す、すなわち襟を持って姿勢を直すというのがこの字句の意味です。高倉健さんが緋牡丹のお竜さんにそれとなく別れを告げ、二度と帰らないであろうお竜さん家の玄関を肩越しに振り返りながら、ピシッと襟を直し、ひとりで悪ヤクザ家に殴りこみを掛ける、なんちゅう時に使われる言葉なのです。
たとえお客さんが少なかろうと、この味を判ってくれるまでは必死に頑張る『えりもち』じゃねぇ『きょうじ』を蕎麦屋でさえ持ってんだよ、麻生クン!!
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無題
古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか。
何から何まで 真暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆の からみあい どこに男の夢がある
By 鶴田浩二
何から何まで 真暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆の からみあい どこに男の夢がある
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