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先週から本州の蒸し暑さが引越ししてきたような天気が続いています。
さすがお母さんたちも台所で火を使う気持ちにならないのか、
30人を超えるお客様で連日の売り切れ仕舞い。
仕舞いにしないで追い打ちを掛ければよいのですが、
洗うヒマも無く、置く場所も無く、床中に置かれた洗い物の山を前に、
『これ洗い終わったら止めよう!もういいよな?』とパートさんに助け舟の同意を求める汗だくの店主。
『そうですね、止めましょ!』とのぼせたようなパートさん。
へろへろになりながら洗い物を片付けると、もう残りの体力には警告灯が点滅してます。
夕方ご来店されたお客様、本当に申し訳ありません。
そんな中、時々聞かれることがあります。
『さぞ蕎麦にはこだわってるんでしょうね』と。
『いいえぜんぜんこだわっていませんよ』そう答えることにしています。
誰が食べても美味しく感じる、普通の蕎麦を目指して打っています。
あえて言うならばつゆには少しこだわっている。
蕎麦への力の入れ加減をそこそこに押さえ、つゆに精力を傾けています。
どんなに素晴らしい蕎麦でもつゆが不味ければ食べれたもんじゃない。
逆に美味いつゆならば多少ひどい蕎麦でも食えてしまう。
つゆも蕎麦も両方良ければ言うことないのですが、たやすい道ではありません。
目指すのはフツーの蕎麦屋です。
普通の蕎麦を、そこそこのつゆで、お年寄りから子供までみんなが美味いと感じる、
そんな蕎麦屋になりたいと思ってます。
さすがお母さんたちも台所で火を使う気持ちにならないのか、
30人を超えるお客様で連日の売り切れ仕舞い。
仕舞いにしないで追い打ちを掛ければよいのですが、
洗うヒマも無く、置く場所も無く、床中に置かれた洗い物の山を前に、
『これ洗い終わったら止めよう!もういいよな?』とパートさんに助け舟の同意を求める汗だくの店主。
『そうですね、止めましょ!』とのぼせたようなパートさん。
へろへろになりながら洗い物を片付けると、もう残りの体力には警告灯が点滅してます。
夕方ご来店されたお客様、本当に申し訳ありません。
そんな中、時々聞かれることがあります。
『さぞ蕎麦にはこだわってるんでしょうね』と。
『いいえぜんぜんこだわっていませんよ』そう答えることにしています。
誰が食べても美味しく感じる、普通の蕎麦を目指して打っています。
あえて言うならばつゆには少しこだわっている。
蕎麦への力の入れ加減をそこそこに押さえ、つゆに精力を傾けています。
どんなに素晴らしい蕎麦でもつゆが不味ければ食べれたもんじゃない。
逆に美味いつゆならば多少ひどい蕎麦でも食えてしまう。
つゆも蕎麦も両方良ければ言うことないのですが、たやすい道ではありません。
目指すのはフツーの蕎麦屋です。
普通の蕎麦を、そこそこのつゆで、お年寄りから子供までみんなが美味いと感じる、
そんな蕎麦屋になりたいと思ってます。
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いつも一人でやってきてせいろの大盛りを注文されるお客様がいる。
年齢は40半ば。
実に盛大な音を立てて召し上がる。
蕎麦をお出しする側にとっては応援歌のような嬉しい音です。
この前の日曜日、午後遅い時間にまた一人で見えられた。
注文はいつものせいろ大盛り。
他にお客様が居なかったので、蕎麦をすする音が店中に響き渡る。
ニヤニヤしながら聞き入っていると、お会計の際こんなことを言われました。
『ここの蕎麦の茹で加減がいいんだ!僕みたいに思いっきりすすっちゃう人にはちょうどいいんだ。』
茹で方には細心の注意を払い10秒単位で調整しているので、本当に嬉しい褒め言葉でした。
蕎麦屋紹介の名著『もっと蕎麦屋で憩う』の著者故杉浦日向子さんによると、
ズズッと濁音の音を立てて蕎麦を食べるようになったのは、
ラジオが一般家庭に普及するようになってからだと言うのです。
噺家がラジオの落語の中で派手にすすって食べるのを聞いた一部の連中が、
『おっ、粋な食い方だねぇ~』と真似をしたのが始まりだというのです。
ホントかどうか分りませんが、蕎麦と落語が仲良しなのは確かです。
年齢は40半ば。
実に盛大な音を立てて召し上がる。
蕎麦をお出しする側にとっては応援歌のような嬉しい音です。
この前の日曜日、午後遅い時間にまた一人で見えられた。
注文はいつものせいろ大盛り。
他にお客様が居なかったので、蕎麦をすする音が店中に響き渡る。
ニヤニヤしながら聞き入っていると、お会計の際こんなことを言われました。
『ここの蕎麦の茹で加減がいいんだ!僕みたいに思いっきりすすっちゃう人にはちょうどいいんだ。』
茹で方には細心の注意を払い10秒単位で調整しているので、本当に嬉しい褒め言葉でした。
蕎麦屋紹介の名著『もっと蕎麦屋で憩う』の著者故杉浦日向子さんによると、
ズズッと濁音の音を立てて蕎麦を食べるようになったのは、
ラジオが一般家庭に普及するようになってからだと言うのです。
噺家がラジオの落語の中で派手にすすって食べるのを聞いた一部の連中が、
『おっ、粋な食い方だねぇ~』と真似をしたのが始まりだというのです。
ホントかどうか分りませんが、蕎麦と落語が仲良しなのは確かです。
あっという間に年の半分が過ぎました。
6月の末から続いている蒸し暑さは、月を改めてもそのままです。
こんな天気の為なのか、お客様の入りはまずまず好調です。
昼時ラーメン屋さんへ行かれていた方達がいらしているのかもしれません。
蕎麦屋にとっては、この暑さ、もっと続いてくれ!と言いたいところなんですが、
釜前摂氏40度の状況で蕎麦を茹でる者にとっては辛い。
この間の6月最後の日曜日、30度を超える暑さのなか39名様のお客様を記録しました。
開店時のひと時を過ぎると不思議に汗はまったく出ません。
汗が出ない分、体の力がそのまんま抜け出ていくような気がします。
体力増強に努めましょう!まだまだ大丈夫です。
でも、やりたくて始めたこの商売、いつまで出来るかなと考える時があります。
今のまんまの蕎麦や汁を作り続けるには体力的な限界がある。
『なんか、にの字の蕎麦、不味くなったよね!』と言われないうちに止めちまって、
『にの字の伝説』なんていつまでも言われる様なかっこいい納め方考えている自分がいます。
いくつになっても『えぇかっこし』の癖はぬけませんな~。
そんなこといいながら、90ぐらいまで商売を続けていて、
『志村けん』が時々お笑い番組でやってる食堂のばーさまのように、
震える指をドンブリに突っ込みながら蕎麦を出すのもいいかもしれません。
まっ、すべては神の思し召すまま、『インシャーアッラー』ですな。
6月の末から続いている蒸し暑さは、月を改めてもそのままです。
こんな天気の為なのか、お客様の入りはまずまず好調です。
昼時ラーメン屋さんへ行かれていた方達がいらしているのかもしれません。
蕎麦屋にとっては、この暑さ、もっと続いてくれ!と言いたいところなんですが、
釜前摂氏40度の状況で蕎麦を茹でる者にとっては辛い。
この間の6月最後の日曜日、30度を超える暑さのなか39名様のお客様を記録しました。
開店時のひと時を過ぎると不思議に汗はまったく出ません。
汗が出ない分、体の力がそのまんま抜け出ていくような気がします。
体力増強に努めましょう!まだまだ大丈夫です。
でも、やりたくて始めたこの商売、いつまで出来るかなと考える時があります。
今のまんまの蕎麦や汁を作り続けるには体力的な限界がある。
『なんか、にの字の蕎麦、不味くなったよね!』と言われないうちに止めちまって、
『にの字の伝説』なんていつまでも言われる様なかっこいい納め方考えている自分がいます。
いくつになっても『えぇかっこし』の癖はぬけませんな~。
そんなこといいながら、90ぐらいまで商売を続けていて、
『志村けん』が時々お笑い番組でやってる食堂のばーさまのように、
震える指をドンブリに突っ込みながら蕎麦を出すのもいいかもしれません。
まっ、すべては神の思し召すまま、『インシャーアッラー』ですな。
おかげさまで週末の時分どきには満席の状態が続いています。
きのう20日の日曜日、開店準備でバタバタしている11時少し前電話が鳴りました。
12時ごろ8名で予約をしたいとのこと。
11時半か1時過ぎに時間を変えていただけないかとお話したが無理とのご返事。
大変残念ながらお断りをせざるを得ませんでした。
ご予約を受け付けるということは、30分前からその分のお席を空けておくということです。
僅か12席の小さいこの店で週末の時分どき、3分の2のテーブルにご予約席の札を置くことはできません。
さぞかし気分を悪くされたのではないかと思っています。
なにとぞそんな事情をご理解をしてくださり、あらためてのご来店をお待ちしております。
18日の金曜日も急に暑くなったせいなのかお客様の切れ目が無く、
2時には蕎麦が無くなり売り切れ仕舞いとさせていただきました。
片付けを終えて翌日の仕込みの買い物に出ようと店を出たとたん、
1台の車がブーンと入ってきました。
見ると釧路ナンバーの車です。
降りてこられた方に蕎麦が無い旨を告げ謝りました。
わざわざ釧路からにの字の蕎麦を食べに来られたという。
本当に申し訳無かったが如何ともし難い。
写真だけ撮らせて下さいといわれ、
店の玄関の写真を撮ってお帰りになられた。
週末でも平日でも、できるだけ売り切れ仕舞いは避けたいと思ってます。
ただ、その日の汁の状況、その他の仕込みの食材の状況、
そして何より朝4時から起きて蕎麦を打ってる自分の体力の残り具合。
売り切れ仕舞いはいろいろな状況の限界だと、どうぞご理解ください。
『商い中』の札から『売り切れ仕舞い』の札に変えるとき、
店主の胸をよぎるのはやれやれと言う安堵感ではなく、
この後訪れるかもしれないお客様に『ゴメンナサイ』という気持ちでいっぱいなのです。
きのう20日の日曜日、開店準備でバタバタしている11時少し前電話が鳴りました。
12時ごろ8名で予約をしたいとのこと。
11時半か1時過ぎに時間を変えていただけないかとお話したが無理とのご返事。
大変残念ながらお断りをせざるを得ませんでした。
ご予約を受け付けるということは、30分前からその分のお席を空けておくということです。
僅か12席の小さいこの店で週末の時分どき、3分の2のテーブルにご予約席の札を置くことはできません。
さぞかし気分を悪くされたのではないかと思っています。
なにとぞそんな事情をご理解をしてくださり、あらためてのご来店をお待ちしております。
18日の金曜日も急に暑くなったせいなのかお客様の切れ目が無く、
2時には蕎麦が無くなり売り切れ仕舞いとさせていただきました。
片付けを終えて翌日の仕込みの買い物に出ようと店を出たとたん、
1台の車がブーンと入ってきました。
見ると釧路ナンバーの車です。
降りてこられた方に蕎麦が無い旨を告げ謝りました。
わざわざ釧路からにの字の蕎麦を食べに来られたという。
本当に申し訳無かったが如何ともし難い。
写真だけ撮らせて下さいといわれ、
店の玄関の写真を撮ってお帰りになられた。
週末でも平日でも、できるだけ売り切れ仕舞いは避けたいと思ってます。
ただ、その日の汁の状況、その他の仕込みの食材の状況、
そして何より朝4時から起きて蕎麦を打ってる自分の体力の残り具合。
売り切れ仕舞いはいろいろな状況の限界だと、どうぞご理解ください。
『商い中』の札から『売り切れ仕舞い』の札に変えるとき、
店主の胸をよぎるのはやれやれと言う安堵感ではなく、
この後訪れるかもしれないお客様に『ゴメンナサイ』という気持ちでいっぱいなのです。
この間ホーマックで買い物をしてレジに並んでいると、
なにやら隣のレジが騒々しい。
花の苗を抱えた中年の夫婦が喧嘩をしている。
どうやら旦那が買おうとした花に、そんなに要らないと奥さんが言っているらしい。
文句を付けられブチ切れちまった夫は『あぁ~!全部キャンセル!!みんな要らん!!』。
『全部なんて言っていないしょ、なんでそんなこと言うの!アタマくる!』と奥さん。
レジを打てない店員さんは困っているし、
後ろに並んでたロシア人も口をあんぐり開けてびっくりしてる。
なんだかこの国も変わったなと思ってしまいました。
確かベネディクトだったかな、学生の頃読んだ『菊と刀』という本のなかで、
西洋は『罪の文化』で日本は『恥の文化』であると。
第二次世界大戦の終戦間際、沖縄で起こった出来事。
ひめゆりの乙女たちの集団自決。
そのほかにも多くの沖縄の人達や、ソ連の侵攻を受けた北の果ての樺太の人達、
捕虜としての辱めを受けるよりは死を選んだでしまった、または強制させられた民間人や兵隊さん達の悲劇。
未来永劫にわたって忘れてはいけないことだと思います。
『恥の文化』のマイナスの頂点の極みの結果です。
一方ある意味で明治、大正、昭和の時代を支えてきたのが、
人様から見られて恥ずかしくない生き方という価値観です。
自分が育ってきた環境も正しくそんな世界でした。
先程の夫婦のように、人前で喧嘩をするとか言い争いをするとかはみっともないことで、
恥ずかしいことだと教育されて育ちました。
時代は変わってきてるんでしょうなぁ~。
タカアンドトシではないけれど『おまえは欧米か!』と言いたくなる場面に遭遇することたびたびです。
でもどんなに時は進み、世の中が変化しようとも無くしてはいけないものがある。
常に人から見て、他人から見られて美しく潔くなければならないと言う気持ち。
失ってはいけないものだと思います。
なにやら隣のレジが騒々しい。
花の苗を抱えた中年の夫婦が喧嘩をしている。
どうやら旦那が買おうとした花に、そんなに要らないと奥さんが言っているらしい。
文句を付けられブチ切れちまった夫は『あぁ~!全部キャンセル!!みんな要らん!!』。
『全部なんて言っていないしょ、なんでそんなこと言うの!アタマくる!』と奥さん。
レジを打てない店員さんは困っているし、
後ろに並んでたロシア人も口をあんぐり開けてびっくりしてる。
なんだかこの国も変わったなと思ってしまいました。
確かベネディクトだったかな、学生の頃読んだ『菊と刀』という本のなかで、
西洋は『罪の文化』で日本は『恥の文化』であると。
第二次世界大戦の終戦間際、沖縄で起こった出来事。
ひめゆりの乙女たちの集団自決。
そのほかにも多くの沖縄の人達や、ソ連の侵攻を受けた北の果ての樺太の人達、
捕虜としての辱めを受けるよりは死を選んだでしまった、または強制させられた民間人や兵隊さん達の悲劇。
未来永劫にわたって忘れてはいけないことだと思います。
『恥の文化』のマイナスの頂点の極みの結果です。
一方ある意味で明治、大正、昭和の時代を支えてきたのが、
人様から見られて恥ずかしくない生き方という価値観です。
自分が育ってきた環境も正しくそんな世界でした。
先程の夫婦のように、人前で喧嘩をするとか言い争いをするとかはみっともないことで、
恥ずかしいことだと教育されて育ちました。
時代は変わってきてるんでしょうなぁ~。
タカアンドトシではないけれど『おまえは欧米か!』と言いたくなる場面に遭遇することたびたびです。
でもどんなに時は進み、世の中が変化しようとも無くしてはいけないものがある。
常に人から見て、他人から見られて美しく潔くなければならないと言う気持ち。
失ってはいけないものだと思います。