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両手の指の不調を何とかなだめすかし、年越し蕎麦を打ち終えた。
やれやれという思いはあるが、240食やったねという様な喜びは無い。
毎年のことながら、お渡しした蕎麦の行く末が心配でどうしようもない。
出来るだけ大きな鍋で少しづつ茹でてくださいねと,
お願いしても、現実は無理な相談。
蕎麦は茹で上げ、器に盛って一人前の商品。
半完製品にお代を頂きながら、後は好きにしてねというのは無責任の極み。
少ない水で茹でられて団子になった蕎麦や、
掻き回し過ぎて切れ切れになった蕎麦が目に浮かぶ。
そんな蕎麦を食うぐらいなら、日清どん兵衛の後のせさくさくの方がよほど美味い。
てなわけで、年越し蕎麦の販売は止める方向で考え中です。
その代わりに、31日は深夜の0時頃まで『かけ』と『せいろ』のみで営業。
種物は『海老天』だけなんていうやり方を考えてます。
まっ、いうなれば昔の東京の蕎麦屋の大晦日です。
お持ち帰りの年越し蕎麦の販売は、蕎麦屋にとっては掻き入れ時。
だが、にの字の蕎麦は採算度返しで店で味わっていただきたい。
つくづく儲け下手な性格だと思う。
もとより食べていければいいと始めたこの商売。
余計な儲けを考え始めると、この店の基本姿勢が揺らいでしまう。
30日の営業最終日。
もう閉めようかなと思った時間、市内で美味いイタリアンを食べさせてくれる『クアトロ』のご夫妻がいらしてくれた。
残り少ない蕎麦は太いのが混ざってしまう。
『いやーっ、太くてごめんなさいね!』と声をかけると、
『僕はこっちの方が断然好みです!』
麺とソースの絡み具合が勝負のプロがそう言う。
考えちまう。
切りべら23本の細切り江戸前蕎麦を目指してやってきたが、
安定経営を目論むならば太目の蕎麦も眼中に入れなければならないか。
いずれにしても、いろいろと変革が必要な年になりそうです。
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12月の中頃からお客様の入りが戻ってきた。
良い日もあれば悪い日もあるのは水商売の常。
一喜一憂していては蕎麦屋何ぞはやってられない。
何とか平均して入ってくれたらと思うが、
寂れる一方のこの街で暖簾を掲げた以上、
そんな安定経営は夢のまた夢。
地道にコツコツと旨い蕎麦を作り続けることが最良の策。
つくづく自分の性格に合った商売を始めたもんだと思う。
さて、クリスマスです。
40数年前、相模原の東林間にある教会に住んでいました。
当時、東林間は新興住宅地の最前線で、
日本聖公会聖バルナバ教会は、開拓教会として原っぱのど真ん中に立てられた教会でした。
クリスマスにはキャロリングという、
病院や養護施設に出向き、軒先で聖歌を歌う行事があった。
20名ぐらいの聖歌隊が、深夜0時からのクリスマス礼拝に戻れるように各所を廻った。
移動は牧師の車と信者さんの車。
自分の隣にはペロちゃんという、高校2年の女の子が座る。
母親が声楽教師をしているその子は、抜群の声量を持ち聖歌隊の中心だった。
教会へ戻る道すがら、自分の肩に舟を漕いでいたペロちゃんの頭が乗っかる。
女の子とそんな状況になるのは初めての体験。
心臓ドキドキのメリークリスマスである。
車から降りると肩口のあたりが冷っこい。
結構広めによだれの跡。
洗濯しないで、しばらく取って置いた記憶が残ってます。

時が経つのは早いもので、先週の金曜日は、ばあちゃんの49日だった。
店を一旦3時で閉めて、墓参りに行った。
墓地を廻る周回路は冬期間閉鎖。
ならばと、坂下の入り口に車を停め、
花を片手に歩き出した。
こないだの日曜日の大雪がそのまんま残っていて、予想以上に歩行困難。
膝までの雪が、段々膝上までになり、一歩ごとに息を整えなければ前に進めない。
坂の半分あたりで、戻ったほうがいいという思いが頭をよぎる。
北方謙三のハードボイルド小説に、
引き返すには遅すぎる、なんていうフレーズがあったよな、
そんなこと考えながら、ようやく目的地の坂の頂点に到達。
ゴム長の雪を取ろうと靴を脱いだ。
なんと右側の爪先から踵にかけて横一文字に裂けているではないか。
もはや靴としての用を足さないものを履き直し、
道路と墓地の境界のガードロープを跨ぐ。
あららっと言う間に腰まで埋まってしまった。
体を倒すようにして数10センチずつ前進。
ヘロヘロになって墓に到達した。
歩き始めてから小一時間は経っていた。
お参りもそこそこに帰り道。
下りの分だけ楽なだけで、まさしく八甲田山雪中行軍。
精も根も尽き果てて車に辿り着いた。
冬の墓地には気を付けましょう。 
室蘭や登別の胆振地方を襲った風と雪による災害。
こっちは被害が無くて何よりと言っていた矢先、
台風並みに発達した低気圧がオホーツク沿岸を通過中である。
土曜日の夜半から降り出した湿った雪、
日曜の朝には30センチほど積もっていた。
てぇーしたことないぜと今季初の除雪機を出動させたが、
余りの雪の湿り方に9馬力の除雪機が音を上げた。
雪が飛ばない。
こりゃダメだと、急遽小型重機ジョブサン所有のT君に救助要請。
段々ひどくなる雪を見て、パートさん達に休むよう電話する。
開店時刻前には、T君のおかげで店前は何とか開いた。
迷った末、商い中の看板を出す。
結果はすべて常連の7名のお客様。
こんな天気のなか、本当にありがたいことである。
玄関の戸が開かなくなる恐れが出たので午後2時に閉店した。
さて、先日の5日で66歳になってしまった。
今でこそ65歳オーバーでもバリバリの現役が当たり前だが、
自分が子供の頃は、60を過ぎるとみんなヨボヨボの年寄りだった。
元気で長生きが一番だが、
適当なところで逝っちまった方が良いのではないかという考えが捨てきれない。
65歳になると飛行機のシルバー割引が利用できる。
余裕が出来たらやってみたいプランがあった。
ひとっ飛びに東京。
神田まつやで焼き海苔をあてに酒を一合、
ささっとせいろを二枚手繰ったあとは、歌舞伎座で勘三郎を堪能し、
夜は天ぷらこんどうで、近藤さんと話しながら日本一の天ぷらをいただくという、
スーパーゴールデン・スペシャルデラックスコースが実現不能となってしまった。
57歳は早過ぎる。
和田アキ子が、粋を感じる人だったとか何とかテレビの取材で言っていたが、
おめぇーに『粋』の何が分かるの?と思ったのは自分だけではないだろう。
『粋』とはすべての粋ではないものを、さりげなく捨てちまう生き方。
『粋』で『いなせ』で『男の色気』を感じさせる役者が亡くなった。


先日、パートさん達に注文をつけた。
お客様を迎える言葉『いらっしゃいませ~』、
お客様を送り出す言葉『ありがとうございました~』、
この二つの言葉がおざなりになっているんじゃないのと。
『にの字』に接客のマニュアルは無い。
その場その場で心を込めること、それが当店の決め事。
立て混む時間になると、手元の作業に追われ、
お客様の顔を見ないで二つの言葉を使ってしまいがち。
ひとりひとりと目を合わせて笑顔で接客することを確認した。
道内大手のコンビニ、〇〇マートに入店した時に発せられる店員の言葉。
『いらっしゃいませ!〇〇マートへようこそ!』
何回聞いても気恥ずかしいような違和感を覚える。
レジを操作しながら、あるいは品出しをしながら、
仏頂面のまま言葉だけが飛んでくる。
飛びっきりの笑顔があれば接客マニュアルなんぞは要らないのかもしれない。
歯を見せての笑い顔が苦手な日本人が考え出したことかもしれませんな。
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