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人様に蕎麦を食べてもらって、お銭を頂戴し暮らしている。
だが自分がモノを食べるという行為には、
常に気恥ずかしい様な思いが付きまとうのは何故だろう。
戦後直ぐの昭和21年の生まれ。
何もかにも不足している時代だった。
もちろん給食などあるわけが無く、学校は弁当持参。
父親が農協の職員をしていたせいか、
二品か三品のおかずの付いた白米の弁当を持っていくことが出来た。
小学中学は40数名のクラス。
朝鮮人の開拓部落の子供たちも含め、
貧し過ぎて弁当を持ってこれないものが1割。
おかずは漬物だけか、ただ味噌汁の具を乗っけたようなものが3割。
みんなアルミの蓋で弁当を隠し、会話も無くひたすら黙々と食っていた。
食べ終わると、腹が減っているのに体育館で走り回っている弁当無し組に合流する。
そんな体験が食べるということの後ろめたさに、少しは影響しているのかもしれない。
辺見庸著『もの食うひとびと』。
アフリカやアジアの戦火の止まない、あるいは貧困のるつぼに喘ぐ中、
極度の栄養失調で食べることが出来ず数日中に死に行く幼児を抱きながら、
国連配給のミルク粥を口に運ぶエイズの母親。
軍幹部の食糧横流しのため満足な食事を与えられず、
病気除隊になるために石鹸を食べる極東ロシアや北朝鮮の痩せ細った兵士達などのルポターュ。
『食事』はひとつの快楽であることには間違いない。
だが『食べる』という行為の裏側には『食べれない』という事実が存在することを忘れることは出来ない。
蕎麦を茹でるときに出る切れつ端を捨てられず、
お腹の中に入れてしまうのはそんな気持ちの表れでしょうかね。
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ご常連のW様が不慮の事故で亡くなられた。
先週の日曜日、あいにく混雑しているときに御家族5人で見えられたので、
『すんません!30分ほどお待ちいただくことになるのですが!!』
『いいよ!車で待つから!』と仰る。
程無く2人席が空いたので、先に2名様だけご案内出来ますとお伝えするが、
『みんなで一緒に食べたいから』と断られた。
結局20分以上待っていただき4人席に5人で座ってもらう。
何時ものように、ご長男のK君を中心に和やかに蕎麦を召し上がってくださった。
紋別の水産加工業界を牽引する若手の代表であった。
北大を卒業され、先代の父君の後を継ぐと新工場を造り、
市内の水産加工場では初めてのハサップの認証も得、
これからという時の訃報である。
ご冥福を祈り、何時も座られていた席に1日、野の花を飾らさせていただいた。
つたない蕎麦を皆様に食べていただくようになってから早4年。
真っ暗闇の海原をコンパスも無しに漕ぎ出した老朽船に、
神様はようやく夜明けの兆しを見せてくれ始めた。
『あの店は趣味でやっているんだ』と巷で言われているらしい。
冗談ではない。
食べていくために必死なのである。
早い時間の売り切れ仕舞いがそんな印象を与えているのかもしれないが、
1年でも長く蕎麦屋を続けていくためには止むを得ない処置。
朝4時前には起き出し、蕎麦打ち、掃除、出汁取り、てんぷらなどの仕込み、
などなど必要な仕事が終わると開店の11時。
3時過ぎには精も根も尽き果てる。
何日か前、そんな事を考ながら仕舞いの床拭きをしていると、
ラジオからロッドステュアートの『セイリング』流れ出した。
柄にも無くボロボロと涙がこぼれる。
蕎麦は人生そのもの。
格言好きのオッサンならば『蕎麦を打つ 己を打つ 』なんて額を店に飾るところだが、
そんな偉そうなことを言える自分ではない。
残り少ない人生の時間。
そこそこに食べていければよいと思っているが、
一茶の句。
『露の世は 露の世ながら さりながら』が正直な心境ですな。
お盆期間中の1週間の1日平均来客数である。
6割以上が地方からのお客様。
開店前から2台3台と車が停まっている。
開けると同時にほぼ満席状態である。
新規のお客様には『30分近くお待ちいただくことになりますが?』と、
お伝えしても辛抱強く車の中で待ってくださる。
2時ごろの売り切れ仕舞いまでトイレに行くことも出来ず、
釜とてんぷら鍋の前から離れられない。
厨房の中、特に釜の付近は40度以上あるはずだが、
暑さも感じないし汗も出ないんですなぁ~。
だがやっぱり体は正直なもんで、
休み無しの7日目あたりから右腕が張り出し、
19日の日曜日には細かい作業が出来なくなるほど感覚が麻痺。
ボロボロになって2週間ぶりの休みを迎えた。
気になるのは、お客様にゆったりと落ち着いた雰囲気の中で、
蕎麦を召し上がっていただけなかったこと。
しょうがないと言ってしまうとそれまでだが、
せめてあと8席席数があればと、
店舗設計の甘さをつくづく思い知らされた今年のお盆でした。
覚悟はしていたものの、12日の日曜日は49名様の御来店。
開店以来の新記録である。
よれよれに疲れた体に鞭打って、休み無しのハードな週に突入した。
体より頭が休息を欲しがっている。
うっかりミスが多くなり、修正の効かないものが混じり始めると閉店の合図。
上手く出来たもので、丁度その頃には蕎麦も底を付く。
売り切れ仕舞いの札を出し、パートさんと遅い昼食を摂る。
食べながらお墓の話になった。
旦那と一緒のお墓に入るより、実家のお墓に入りたいなどと皆さん好きなことをおっしゃる。
適当に合図地を打ちながら自分の死後を改めて考えた。
葬式無用。
死んだ者が生きている者を煩わしてはいけない。
キリスト教の教会に一応籍を置くが何年も礼拝に出てはいない。
誰よりもイエス様の存在を信じているが、
死んだ時だけは教会で葬式を、なんていうのは虫のいい話。
兄弟や親戚もそれぞれ歳をとった。
遠方から駆けつけるだけで相当な負担になる。
自分の居場所で一晩弔いの杯を傾けてくれればそれで充分。
とっとと焼いてもらった後の骨には何の意味も無い。
燃えるごみの袋に入れてもらっていいのだが、
法律上それは出来ないらしい。
ならば粉骨にして、そこいら辺の海でも川でもばら撒いてください。
これ遺言です。
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